加藤昭子

〔人物〕昭和17年2月16日、岩手県盛岡市松尾町で生まれた。昭和39年11月23日に結婚。海谷吉右衛門型を継承していた小塚錠一は、木地作業が年齢的に辛くなり、昭和62年頃より遠刈田の大宮正男に木地を依頼するようになった。… 続きを読む

我妻勝之助

〔人物〕明治8年(推定)、宮城県刈田郡宮村遠刈田小妻坂に生まる。明治24年17歳のとき、遠刈田新地の佐藤周治郎について木地を習得。周治郎とともに大宮源ハエ揚の職人として働いた。 明治27年20歳のとき木材の重量を測るため… 続きを読む

中川徳二郎

〔人物〕昭和5年8月29日、秋田県雄勝郡雄勝町横堀に生まれた。鈴木幸太郎の妻女さと子の弟にあたる。昭和38年より義兄である鈴木幸太郎に師事して木地を習得した。昭和49年からは長男の郁夫も、幸太郎、徳ニ郎について木地の修業… 続きを読む

川越祥行

〔人物〕昭和17年6月29日、青森県弘前市和徳町の木地業川越謙作四男として生まれた。一家は昭和19年ころ弘前市平岡町に移転した。昭和34年7月に父謙作が急性肺炎で急逝した。そのため同年10月より弘前の大瀬徳一の援助で室越… 続きを読む

佐藤慶太郎

明治39年及位駅前の大工佐藤松治の弟に生まれた。14歳より24歳まで\及位木工場で佐藤文六の弟子となり木地を習得した。昭和15年北海道へ渡りまもなく病死した。こけしも作ったというが作品は確認されていない。 下掲写真右端は… 続きを読む

西山辨之助

〔人物〕  嘉永5年11月13日、福島県信夫郡土湯村上ノ町の西山濱吉、サクの長男に生まれる。名前表記は文献によって「辯」「弁」が使われるが、戸籍上は「辨」が正しい。 父濱吉は佐久間亀五郎二男、土湯の首の回るこけしの創始者… 続きを読む

佐藤善助

明治26年11月11日、宮城県刈田郡遠刈田新地の佐藤の善八長男として生まれた。明治40年より父善八につき木地を修業し、大正元年ころより及位の佐藤文六の工場で職人をした。大正5年ころ一時遠刈田に帰郷し、その後仙台に行って東… 続きを読む

久米美恵子

〔人物〕 木地山の小椋宏一の描彩者の一人。また美恵子名義の作品もある。 昭和34年3月1日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向水上沢(木地山)の木地業小椋宏一、リヨの長女として生まれた。小椋久太郎の孫で利亮の妹である。美恵子は祖父久… 続きを読む

尻替玉

馬具の一つ。通称、管(くだ)と言って馬の尻尾の捌きを良くするために使われた。尻がい玉ともいう。馬の尾の下を通して両端を鞍に付ける。 尻替玉作りは、ロクロの工法と刃物の扱いの習得になるので、戦前には鳴子はじめ各産地で、弟子… 続きを読む

鈴木昭二

〔人物〕 昭和2年8月3日、米沢市の玩具商・木地業鈴木清、峰子の長男に生まれた。昭和17年4月中学校卒業とともに横浜の海軍航空技術廠に入り、設計に従事していたが、終戦に際し、20年より白石の共栄木工所に入って木地の技術を… 続きを読む