
〔人物〕 大正6年6月1日、山形県最上郡舟形村長沢の農業三浦仁作の長男に生まれる。長沢村では多くが農業に従事していたが、冬季の仕事として木地業を導入することが企画され、昭和14年秋に、鳴子より伊藤松三郎を招いて木地の指導… 続きを読む
〔人物〕 大正6年6月1日、山形県最上郡舟形村長沢の農業三浦仁作の長男に生まれる。長沢村では多くが農業に従事していたが、冬季の仕事として木地業を導入することが企画され、昭和14年秋に、鳴子より伊藤松三郎を招いて木地の指導… 続きを読む
〔人物〕 明治15年5月21日、福島県信夫郡土湯村の山根屋渡邉作蔵、クラの三男に生まれる。久吉は長兄、飯坂鯖湖に移った角治は次兄に当たる。 8歳で土湯村尋常小学校に入学、尋常科3年、補習科3年を修め、14歳より父作蔵と… 続きを読む
〔人物〕 明治38年11月10日、山形県最上郡大蔵村肘折温泉佐藤周助、イサの次男として生まれる(周助の本籍地は宮城県刈田郡宮村であり、肘折より離れていたので戸籍に記載された巳之助の生年月日は明治39年10月22日になって… 続きを読む
〔人物〕 昭和3年12月25日、川連大館小椋泰一郎・たかの次男に生まる。成人になると横浜にでて勤め始めたため、専門にこけしを作ったことはない。木地の修業も正式にしたことはないが、父泰一郎の仕事を見て育ったので簡単なものは… 続きを読む
〔人物〕大井沢のこけし工人。〈山形のこけし〉志田清次郎の項にに写真紹介され「なお志田忠一名義のこけしも少数知られているが詳細不明である」とされた。 〔作品〕鳴子風の形態、描彩をしており志田清次郎と何らかの関係があると思わ… 続きを読む
生年月日、出身地不明。大正7、8年頃より秋保の佐藤三蔵に弟子入りし、木地挽の修業を行った。〈こけし手帖・33〉の深沢要遺稿集によると菅原庄七、山尾武治に次いで入門したという。さらに弟弟子として山尾春吉、毛利政治、佐藤吉雄… 続きを読む
〔人物〕昭和10年7月12日、宮城県柴田郡青根の大工佐藤勝雄、ひろせの長男に生まれる。母のひろせは佐藤菊治の姉まつよの娘である。昭和26年頃から仙台の我妻吉助に弟子入りし、夜間高校に通いながら木地の技術を習得した。昭和2… 続きを読む
〔人物〕昭和8年8月5日、農業田切榮の四女に生まれた。昭和40年宮城県遠刈田温泉の我妻与四松の長男昭三と結婚した。昭和59年より夫の昭三の指導でこけしの描彩を練習、昭和61年頃よりつね子名義のこけしを出すようになった。&… 続きを読む
〔人物〕 昭和5年3月1日、下駄製造業佐藤惣太郎次男として遠刈田温泉に生まる。昭和18年、尋常高等小学校卒業と共に、徴用されて東京の工場で働き、終戦とともに帰郷した。家業の下駄屋の職人をしていたが、新型こけしのブームとな… 続きを読む
大正末期から昭和初期に作品を発表した画家。 明治24年3月(戸籍上では7月9日)京都山科の長谷川利其、テルの三男に生まれた。父利其は伏見警察署勤務。 和歌山県湯浅の市立耐久中学校(現耐久高校)に進学、学生時代に同人誌発行… 続きを読む