〔人物〕 昭和26年2月16日、遠刈田新地の木地業佐藤文男、よしの長男として遠刈田新地に生まれる。昭和41年遠刈田中学校卒業後、祖父丑蔵、父文男につき木地修業。以後通信教育を受けながら自身のこけしや丑蔵の木地下を挽いた。… 続きを読む
〔人物〕 昭和26年2月16日、遠刈田新地の木地業佐藤文男、よしの長男として遠刈田新地に生まれる。昭和41年遠刈田中学校卒業後、祖父丑蔵、父文男につき木地修業。以後通信教育を受けながら自身のこけしや丑蔵の木地下を挽いた。… 続きを読む
〔人物〕 明治42年11月22日、宮城県刈田郡宮村(遠刈田新地)の木地師佐藤春吉、さんの長男に生まれる。母親のさんは佐藤茂七の二女であり、吉郎平の妹にあたる。佐藤巳之吉は茂七の五女もじと結婚しているので、吉郎平、巳之吉は… 続きを読む
〔人物〕大正13年7月12日、鳴子塗師大沼与三郎・峰子の次男に生まれる。沢口吾左衛門文書塗師ノ部に記録のある大沼栄三郎には息子が三人居り、長男栄太郎、次男栄次郎で三男が純の父与三郎であった。父与三郎は昭和5年に亡くなった… 続きを読む
生年月日出身地等不明。昭和12年東京こけし會発行の〈こけし作者一覧番付〉や、昭和13年刊行の〈東北の玩具〉によると宮城県柴田郡青根の作者として、佐藤菊治、菊地孝太郎、小田宗太郎、横山拙太郎と並んで佐藤勝雄の名がある。その… 続きを読む
〔人物〕 昭和30年10月15日、増子十一の三女として生まれる。白石の鎌田孝志と結婚、平成3年5月より夫孝志の指導によりこけしの描彩を始めた。昼間は仕事に出ているので多くは作れないが、夫孝志とともに鎌田文市の作風の継承に… 続きを読む
明治33年6月15日、佐藤栄治、ふよの三男として、宮城県刈田郡福岡村大字ハ宮字弥治郎南69番地に生まれた。伝内、勘内の弟にあたる。こけしも相当作ったというが、その作品は未確認である。大野栄治の話では甥の佐藤伝のこけしがよ… 続きを読む
〔人物〕大正14年9月1日、高橋忠蔵、ミンの次男として、福島県相馬郡原ノ町に生まる。高橋佳隆に嫁いだ昌子は妹である。昭和15年、16歳のとき宮城県遠刈田温泉の北岡商店に徒弟として入る。当時、北岡の職人をしていた佐藤豊治に… 続きを読む
福島市荒井字寺屋敷にある白山寺は、「大竹子育地蔵尊」として知られる。ここに収められている多数の木彫りの地蔵尊は、形態がこけしに通じるものがあり、こけしの前駆的な存在であろうという人もいる。ただし、こけしとの関連を示す確実… 続きを読む
こけしの用材としてみずきについでもっともよく使用される用材。学名:Acer Mono Max. ムクロジ目ムクロジ科カエデ属(APG植物分類体系)の喬木落葉樹で、エンコウカエデ、タイシャクイタヤ、ウラジロイタヤ、アカイタ… 続きを読む
〔人物〕昭和47年7月26日、岩手県盛岡市清水町の木地業松田弘次の長男に生まれた。松田木工所は清水町から高松の池の奥の上田堤に移って家業を継続した。晋も平成6年より木地の修業を始め、平成8年4月より晋名義の作品を出すよう… 続きを読む