
明治14年1月15日、鳴子の遊佐善六の長男に生まれる。木地業に就いたがその師匠は詳らかではない。父の遊佐善六は沢ロ吾左衛門文書に塗師として記載されている。沢口悟一の地図では鳴子の通りの東方、山側の角に善六の家がある。善六… 続きを読む
明治14年1月15日、鳴子の遊佐善六の長男に生まれる。木地業に就いたがその師匠は詳らかではない。父の遊佐善六は沢ロ吾左衛門文書に塗師として記載されている。沢口悟一の地図では鳴子の通りの東方、山側の角に善六の家がある。善六… 続きを読む
〔人物〕 昭和4年10月9日、表具師会田清左ヱ門長男として山形県天童市久野本に生まる〈こけし辞典〉。 隣は平塚安兵衛・斜め前は神尾長八の木地工場があった。 祖父会田清五郎は日本画家で田野耕源清信と号した〈山形のこけし〉。… 続きを読む
文久2年3月23日、刈田郡八宮村弥治郎の新山久蔵、志うの長男に生まれた。母志うは蔵本の小室巳之助二女。新山家は代々木地師で、新山家に残されていた享保16年(1731)の山之合判に記載されている休右衛門、あるいは久右衛門を… 続きを読む
〔人物〕 明治28年5月28日、青森県南津軽郡大鰐の木地師間宮忠太郎の次男として生まれた。間宮家は大鰐の古くから続く居木地師(飛びをして移動する渡木地師に対して、支配者の庇護を受けて定住する木地師をいう)で、祖父孫次郎、… 続きを読む
〔人物〕 昭和45年7月15日、福島県土湯温泉の木地業渡辺和夫、信子のニ男に生まれる。戸籍表記は「渡邉」である。亨は子供の頃より、見様見真似でこけしの製作は行っていたという。学校法人電気学園福島高等学校を卒業後、電気関係… 続きを読む
〔人物〕昭和7年4月1日、福島県福島市置賜町の木地業小幡福松、チヨの長男に生まれた。小幡初子は姉である。昭和25年18歳より父の福松について木地の修業を始め、注文に応じた木地製品を作るようになったが、当初は新型木地が多く… 続きを読む
小安は秋田県湯沢市皆瀬字湯元の古い温泉で、湯坪の開設も400年ほど前と言われている。南部藩から佐竹藩へ抜ける山道があり、子安番所が設けられていた。文化8年には、九代目の藩主佐竹義和が仙北領内巡回の途中、家来300人を連れ… 続きを読む
〔人物〕昭和18年9月27日、宮城県遠刈田の朝倉英次、きぬの長男に生まれた。父の英次は遠刈田新地の木地師佐藤周吾、イシの二男、朝倉きぬと結婚婿養子となって、朝倉姓に変わった。英次は秀之誕生のあと昭和20年に三度目の応召と… 続きを読む
〔人物〕大正2年5月11日、秋田県由利郡象潟に生まる。本荘市の「三之助もろこし」本舗小林菓子店に丁稚奉公した。この間日中戦争に徴兵となったが帰還して年期明け後、象潟へ帰って佐々木菓子店を開業した。しかし戦争激化につれて砂… 続きを読む
〔人物〕岩手県岩手郡西根町のきなきな作家。盛岡の松田弘次が作っていたきなきなを見取りで写して製作したらしい。松田弘次自身は渡部信夫のことを知らないと言っていた。詳細は不明。 〔作品〕 昭和55年頃、岩手山ユ… 続きを読む