藤原新吾

〔人物〕 明治44年2月2日、岩手県五郎城藤原政五郎、ナカの二男に生まる。長男左兵衛は生後間もなくなく亡くなったので、新吾が事実上の跡取りであった。 木地は挽かなかったが、父政五郎の木地に描彩をしていたことが昭和43年柴… 続きを読む

朝倉公明

〔人物〕昭和24年11月21日、宮城県仙台市の朝倉英次、きぬの三男に生まれる。秀之、光洋は兄である。 公明は小学校高学年の頃から、独楽を作りや英次こけしの蝋仕上などを手伝っていた。中学生になると母きぬが描彩する作り付け細… 続きを読む

西山辨之助

〔人物〕  嘉永5年11月13日、福島県信夫郡土湯村上ノ町の西山濱吉、サクの長男に生まれる。名前表記は文献によって「辯」「弁」が使われるが、戸籍上は「辨」が正しい。 父濱吉は佐久間亀五郎二男、土湯の首の回るこけしの創始者… 続きを読む

阿部賢吾

大正4年1月2日、山形県西田川郡温海村(現鶴岡市)の木地業阿部常松の四男。治助は長兄、常吉は次兄である。15歳から3年間、兄の常吉について木地を学んだが、木地業に就くことを好まず、鶴岡市内で洋服店に勤めた。こけしの作品は… 続きを読む

岡崎幾雄

〔人物〕 昭和10年2月23日、蔵王高湯の能登屋岡崎嘉平治・まさの長男に生まれる。 祖父栄作は中風で倒れ、父嘉平治は戦地より病を得て帰国したまま昭和23年に没したので、祖父・父より木地の指導を受けることができず、父嘉平治… 続きを読む

佐々木染蔵

明治31年11月30日、農業佐々木染治長男として銀山温泉に生まれた。大正11年12月と大正13年12月に、区長だった藤屋旅館主人藤要吉の努力で、安藤齢太郎を木地講師とする山形県木地講習会が、林八旅館や、伊豆定雄の家でそれ… 続きを読む

井上周治

〔人物〕   大正12年2月4日、秋田県雄勝郡川連の井上虎二郎(農業)の長男として生まれる。代々家名は名兵衛であり、周治も名兵衛を名乗ることがある。 現住所は秋田県湯沢市三梨町下宿。 周治は農業の閑散… 続きを読む

柿澤眞里子

〔人物〕昭和15年9月28日、大阪の印刷業平出友次の長女に生まれる。宮城県玉造郡鳴子町のこけし工人柿澤是隆と結婚した。昭和46年頃より夫是隆について木地挽きの練習を始めた。昭和49年に長男是伸が生まれた。 眞里子名義で自… 続きを読む

沢ロ吾左衛門文書

明治21年4月、鳴子漆器改良組合長沢口吾左衛門は、宮城県知事に鳴子の各種職工、生産額および販路に関する報告書を提出した。その控えとして手元に残していたものが西田峯吉によって〈鳴子・こけし・工人〉に掲載紹介された。その控え… 続きを読む

阿部好

〔人物〕昭和9年2月20日、山形県上ノ山に生まれる。木地の修業を志して、遠刈田の佐藤哲郎に師事した。技術習得後、上ノ山に戻った。こけし製作を始めるにあたって、実家が荒井金七の家に近かったので金七の遺族と話をして、昭和53… 続きを読む