石川功

石川功(いしかわいさお:1936~2012)

系統:土湯系

師匠:本多洋

弟子:

〔人物〕  昭和11年5月30日、農業、石川国三郎・ハルミの長男として猪苗代町に生まれる。昭和27年翁島中学校卒業後、林業及び木炭作りに従事した。その後、資格を取って歯科技工士として働いた。 昭和37年鈴木秋子と結婚した。
木工品が好きという事もあって、昭和58年10月48歳で、猪苗代町の本多洋に弟子入りした。石川功はまた本多洋の義父本多信夫からも描彩の指導を受けたという。
師匠の本多洋は岩本芳蔵の2番弟子で、村田徳次とともに昔ながらの徒弟制度に従い、芳蔵の家に住み込んで修業した人である。石川功は昭和58年の弟子入りより17年間の長きに亘り、本多洋のもとに通って、しっかりした木地挽きの指導を受けている。
石川功は、当初はオリジナルの新型こけし等を製作していたが、平成12年4月より、師匠の許可を得て伝統こけしの製作を行うようになった。本多洋の一番弟子であり、磯川盛雄の兄弟子である。こけしの他木地玩具の製作も行った。平成24年7月22日没、行年77歳。
木地挽きの他に、十割蕎麦を打つなど器用な人であった。

石川功 平成16年10月

石川功 平成16年10月

〔作品〕  修業時代は、猪苗代こけしや、映画のETにちなんだこけし等を遊び心で製作していた。
伝統こけしに専心するようになってからは、師匠の本多洋の型、また岩本芳蔵やその父善吉の型を作った。文献初出は、〈伊勢こけし会だより・90号〉(平成13年6月)で、中根巖により紹介された。下掲の平成13年作は、伝統の中ノ沢の型を作るようになった初期の作である。


〔24.0cm(平成13年)(高井佐寿)〕

下掲の右二本も初期の平成13年作。その後、善吉や芳蔵の中ノ沢古作の型にも意欲的に取り組んだ。

〔写真右より 24.2cm(平成13年4月)、18.2cm(平成13年7月)、21.2cm、24.2cm(平成16年10月)、21.5cm(平成16年11月)、24.2cm、21.4cm(平成18年1月)(中根巌)〕
〔写真右より 24.2cm(平成13年4月)、18.2cm(平成13年7月)、21.2cm、24.2cm(平成16年10月)、21.5cm(平成16年11月)、24.2cm、21.4cm(平成18年1月)(中根巌)〕

系統〕 土湯系中ノ沢亜系

〔参考〕

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