佐藤末吉(さとうすえきち:1905~1960)
系統:鳴子系
師匠:伊藤松三郎
弟子:佐藤一夫
〔人物〕明治38年3月10日、岩手県稗貫郡花巻町東町(現花巻市)に生まれる。大正4年ころ、青森県浅虫で開業していた姉よねの夫、鳴子出身の伊藤松三郎に弟子入りして木地の修業を行った。
大正5年頃より毎年松三郎にしたがって北海道に鰊漁に出たが、首尾うまくいかず、最後には浅虫に帰れなくなって松三郎とともに道内を転々とした。やがて定山渓に移り、弥治郎の佐藤伝内が営業していた丸茂商店で働いた。当時、丸茂商店の職長は佐藤久蔵だった。
その後、大正11年松三郎の師匠高橋万五郎の一周忌を期に鳴子へ行った。大正13年、徴兵検査で花巻へ帰郷、独立開業した。その後一時、高橋悟郎、八重樫与五郎の職人として傘ロクロを挽き、戦時中は蔵原桶工場で桶を挽いた。昭和5年に長男一夫が誕生した。
花巻に落ち着いてから、商店に依頼されて鳴子型のこけしを小数作っていたようである。昭和15年前後のものが比較的残っている。
終戦後、長男一夫が木地を学び家業を手伝うようになった。戦後は新型こけしを主に製作し、注文があれば旧型も挽いた。昭和35年9月6日、上顎癌にて没した。行年56歳。
〔作品〕末吉作断定はできないが、昭和一桁代の末吉と思われる作品が旧橘コレクションにあった。国府田恵一はこれを末吉と判定し紹介している(→第927夜:橘コレクションのこけし(佐藤末吉) こけし千夜一夜物語)。
また昭和10年作といわれるものが鈴木鼓堂コレクション中にあった(〈愛玩鼓楽〉のNo.762)。〈愛玩鼓楽〉には昭和10年代の作品が6本ほど紹介されている。
戦前の作品でポピュラーなのは昭和15年頃のもので、西田コレクション、深沢コレクション中にある。目がやや大きく胴は紬い。
〔 18.2cm(昭和15年)(西田記念館)〕
〔右より 15.8cm、16.4cm(昭和15年8月)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
花巻ではキナキナも製作した。
戦後の作品は、やや個性が目立たなくなり鳴子の一般型に近くなった。
胴に帯を入れた新考案のものも多いが、煤孫実太郎の影響かもしれない。
生前あまり注目されなかった関係で、末吉の残る作品数は多くない。
〔伝統〕鳴子系金太郎系列、きなきなは南部系
〔参考〕