及川吉郎(おいかわよしろう:1920~)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤孝之助
弟子:今野運作
〔人物〕大正9年3月27日、仙台の及川清吉の四男に生まる。尋常小学校を卒業後、昭和8年より仙台商工省工芸指導所に入り、佐藤孝之助から木地挽きの手ほどきを受ける。工芸品等を多く作り、こけしを挽いたのは昭和16年ころからであった。昭和17年応召、同22年帰郷した。戦後は仙台の木工所で木地挽きの職人をしていたが、昭和27年より仙台市産業局共同工業指導所に勤め、新型、竹細工、漆器等の産業指導、業者の育成、指導をするかたわら、昭和34年より伝続こけしを復活した。今野運作にこけし製作を教えた。また石原日出男や高橋はじめの木地は吉郎のものが多い。昭和42年、共同工業指導所が解散になったため、市役所に勤めている。仙台市原ノ町天還前南から移って現在遠見塚三丁目一番八号にいる。
[作品〕戦前のものは知られていない。昭和34年ころのものは、稚拙だが独特の表情があった。以後漸次頭が丸く大きくなり、表情はやや甘くなった。及川吉郎がこけしを製作した時期は戦後に新型が盛んであった時期であり、旧型(伝統)の継承にそれほど価値を置かれてはいない時代であった。及川も新型も作り、創作こけしの人気作者の木地も挽いていたので、及川自身の作も多分に時代の嗜好に沿ったものであった。その中で下掲の作品は、旧型の意匠をきちんと押さえたものと言える。
〔伝統」遠刈田系。一般型。師孝之助の型を受け継いでおらず、彼独自のものであり、伝統性には乏しい。