信太昭(しだあきら:1953~)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤守正
弟子:
〔人物〕 昭和28年5月14日、刺繍業信太統一・タツの長男として群馬県桐生市仲町に生まれる。関東短期大学国文科中退後、建設設計事務所に勤務した。二級建築士として勤務を続ける中で、昭和51年24歳の時からこけし蒐集を始めた。特に遠刈田系のこけしに興味を持ち何度となく遠刈田、新地に通い続けた。昭和56年に三洋電機系列の会社に転職し、電子部品やコンピュターソフトの修理などを行っていたが、木地業に入りたい気持ちが日毎強くなったので、退社を決意し平成13年4月10日より遠刈田の佐藤守正に弟子入りした。同年8月末日遠刈田より桐生市仲町の自宅に帰り、独立開業した。
平成14年4月29日から5月5日まで地元で個展を開催し木地玩具・こけし・和凧の販売を行った。遠刈田近郊で原木管理を行うなど昔ながらの流儀に拘って仕事に取り組んでいる。 こけしは、本人の感性を大切にしたいとの事で信太の型を中心に作っている。稀に守正からの継承による静助型を作ることもある。
デビュー当時よりこけしの製作量は極めて少なく、主に七福人の入れ子等の木地玩具やからくり独楽に主体を置いている。また、昭和52年頃より江戸凧・津軽凧を文献を頼りに製作している。こけしコンクールの木地玩具の部で受賞の常連であるが、こけしは殆ど出品していない。
〔作品〕 平成13年頃の修業時代及び独立した頃のこけしは知られていない。翌14年4月~5月の個展でも木地玩具と独楽が中心でこけしの出展は少なかった。文献初出は、〈木でこ・183号〉(名古屋こけし会・平成17年5月発行)で中根巖の報告による。
両親の介護に追われた時期があり、木地玩具・こけし共に製作量は非常に少ない。毎年5月後半に桐生市の梅田ふるさとセンターで「信太昭 こまやこけし展」を開催している。
〔右より、23.5cm(平成16年6月)、24.5cm、24.5cm(平成16年11月)、25cm(平成17年2月)静助型(中根巌)〕
〔系統〕 遠刈田系周治郎系列