小椋甚九郎(おぐらじんくろう:1899~1982)
系統:独立系
師匠:小椋千代五郎
弟子:
〔人物〕明治32年6月6日、福島県耶麻郡岩月村の木地師小椋千代五郎、タツの二男に生まれた。学校卒業後、父千代五郎について木地を修業した。会津若松と喜多方の漆器の木地下を挽いていたが、昭和元年父の病気と共に喜多方市に移住、本町の小野寺某経営の木工場で父と共に働いた。前妻トキとの間にマチノ、後妻ハナとの間に美和子の二女がいある。マチノの夫雄志が婿養子となった。
昭和12年川口貫一郎により紹介され、〈こけしと作者〉で父千代五郎と共に正式に取りあげられた。椅子の脚のような造形の胴の形態で変化に富んだ作品群を、昭和15年頃に盛んに作って収集家の注文に応えた。ただし戦後はほとんど作っていない。大物木地にもっぱら取り組んでいたので、こけしの需要に応じられなかった。
昭和57年5月14日没、行年84歳。
左:小椋甚九郎 右:小椋千代五郎 (昭和11年9月)
〔作品〕昭和15~16年ころの作品はロクロ線の多彩な作で、首はよく回転する嵌込み、時には顔料を用い、二重瞼で瞳のきらりとする一種ユーモラスな表情の作であった。肩に二段のくびれがあったり、マント状の胴になったり、据が凹んだりしたものがあった。
系統的な議論や発生にまつわる素性はともかくとして、鹿間時夫はその形態や作品の雰囲気については高く評価していた。昭和の初めの会津においては、古い歴史を伴わずに発生した人形玩具においても、こけし的霊性は持ち得たのかもしれない。
〔伝統〕独立系
〔参考〕