高橋昌子(たかはしまさこ:1933~)
系統:土湯系
師匠:高橋忠蔵
弟子:
〔人物〕 昭和8年2月19日、福島県原ノ町市の木地業高橋忠蔵、ミンの三女に生まれる。父忠蔵の弟子であった柴田佳隆と結婚、佳隆は忠蔵の婿養子となった。その後、昭和29年に佳隆は京王帝都電鉄に就職、その勤めの関係で昭和35年4月佳隆、昌子一家は東京都下日野市百草に転居した。同時に父忠蔵も原ノ町から百草に移り、木地工房を併設して同居する様になった。忠蔵と同居後、夫の佳隆も勤務の合間に再び木地を挽くようになり、昌子も父忠蔵や、佳隆の木地に描彩のみ行うことがあった。長男通、次女美恵子はこけしを製作する。
昭和61年、一家で福島県原ノ町市に移った。平成7年夫佳隆が他界した。
〔作品〕描彩をしていたのは昭和40年代後半の一時期と思われる。面描は決して甘くはなく、やや渋みの有る味わいのある表情であった。
〔伝統〕 土湯系鯖湖亜系
〔参考〕