高橋美恵子(たかはしみえこ:1958~)
系統:土湯系
師匠:高橋佳隆
弟子:
〔人物〕 昭和33年12月28日、東京都日野市百草の会社員高橋佳隆、昌子の次女に生まれる。祖父は高橋忠蔵、兄は高橋通。姉は忠蔵庵の相良都義に嫁いだ。8歳の頃より、時々祖父の木地に面描をすることがあった。昭和52年東京佼成学園女子校を卒業した。正式にこけしの描彩を習い始めたのは昭和56年24歳から、会社員を辞めて木地を挽いていた父佳隆についてその技術を習い始めたのは昭和57年25歳の時からである。昭和58年東京こけし友の会の正月例会に、自挽きのこけしを発表した。また翌昭和59年10月の東京こけし友の会例会でも兄通とともに頒布された。昭和61年に一家で福島県原ノ町市に移った。こけしの製作数は必ずしも多くはない。
平成23年の東日本大震災で被災し原ノ町を離れたが、それ以後こけし製作は行っていない。
〔作品〕下掲は祖父忠蔵の木地に美恵子が8歳のときに描彩したこけし。幼い時からこけしの描彩には興味を持っていた。
〔 24.5cm(昭和42年3月)(橋本正明)〕 8歳の面描 木地高橋忠蔵
下掲は昭和58年の作で、ほぼ初作に近い。すでに描彩には破綻がなく完成されたこけしとなっている。
〔右より 24.0cm、21.2cm(昭和58年)(高井佐寿)〕
東日本大震災後の諸事情により製作を中止しているのは惜しい。
〔伝統〕 土湯系鯖湖亜系
〔参考〕