後藤晧

後藤皓(ごとうあきら:1935~2015)

系統:鳴子系

師匠:後藤希三

弟子:上野義則/小島利夏

〔人物〕 昭和10年10月19日宮城県玉造郡鳴子のこけし工人後藤希三・はるよの長男に生まれる。〈こけし辞典〉項目は後藤皓で立てられているが日へんの後藤晧が正しい。昭和29年に古川工業高等学校を卆業後、父の希三について木地を習得した。
こけしの製作も修業開始後から始めて、継続して鳴子の作者としてその伝統を守ってきた。鳴子中学校のこけしクラブの指導なども行った。
平成12年に父希三が亡くなってからは、鳴子の年長工人として後進を支える立場になった。鳴子温泉物産協会の会長も務めた。
平成25年に身体を壊して入院し、また翌26年には妻女を失くしたこともあって、このころからこけしの製作は少なくなった。平成27年3月から亡くなるまで、頼まれて青森の小島利夏に木地の指導を行った。平成27年11月17日没、行年81歳。

後藤皓 平成25年
後藤皓 平成25年 熊谷仁奈撮影

〔作品〕 父であり師である後藤希三の戦後の作風を継承することからこけしの製作を始めた。希三の戦後のこけしはやや腺病質の線の細い表情のこけしであったが、晧のこけしは希三の戦後作に比べると若々しく溌剌としていた。それでも平均的な鳴子のこけしで、際立った特徴のあるこけしではなかった。
ところが平成に入り、老境に入ると一転して清新かつ可憐なこけしを作るようになり、その自然な作為のない作風が注目されるようになった。そのころに皓の年齢が、鳴子の中堅、若手を支える立場になったことが一つの契機だったかもしれないが、こけし製作に対する集中力と無心な情熱は、年を重ねて次第に純化されていったように思える。平成21年の第55回全国こけし祭りでは最高位の評価を受けた。

〔21.2cm、21.2cm(平成7年)(高井佐寿)〕
〔21.2cm、21.2cm(平成7年)(高井佐寿)〕

系統〕 鳴子系

 

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