上野義則(うえのよしのり:1949~)
系統:鳴子系
師匠:後藤希三/後藤晧
弟子:
〔人物〕昭和24年6月9日宮城県玉造郡中山平の林業上野清一の三男に生まれる。昭和38年中学二年生のときこけしクラブに入り、鳴子こけし組合の工人たちの指導を受けた。岡崎斉一は同学年でともにこけしクラブで活動した。昭和39年の東京オリンピックの時には、こけしクラブのメンバーが記念品として一万本のこけしを製作して贈ったが、上野義則もそのメンバーの一人であった。
昭和40年3月中学校卒業後、こけしクラブを指導した一人であった後藤晧の弟子となり、晧とその父後藤希三の指導を受けた。住み込みで約9年、結婚して中山平の家に移ってからも約1年間後藤希三、晧の工房に通って仕事を続けた。
昭和50年に鳴子町川端(中山平)で独立し、以後継続して上野義則名義のこけしを製作している。
〔作品〕後藤希三、晧の作風を継承しているが義則独特の表情のこけしになっている。
〔伝統〕鳴子系
〔参考〕
- 上野義則:「晧さんとの思いで」〈こけし手帖・662〉(平成28年3月)