坂下隆蔵(さかしたりゅうぞう:1903~1984)
系統:南部系
師匠:坂下権太郎
弟子:坂下隆男
〔人物〕 明治36年12月21日、岩手県閉井郡宮古町の木地師坂下権太郎・トヨの長男に生まる。大正8年15歳より父権太郎について木地を修業後、家業を手伝う。 雑誌〈鴻・11〉にて作者として紹介される。父権太郎の没するまで、父名儀のこけしの木地を挽いたこともある。終戦直後に、木工所での事故で右手親指を失ったこともあり、戦後はこけしを作っていない。
妻テツとの間に秀雄、隆男の二男がいたが、長男秀雄は木地に興味がなく、次男隆男を花巻の君塚木工所へいれて木地の技術を学ばせた。隆男は昭和45年に花巻の君塚木工所から宮古に戻り、こけし製作を継承した。
昭和59年12月22日没、行年82歳。
坂下隆蔵 〈鴻・11〉掲載
この写真を見ると、松田清次郎と煤孫茂吉が明治23年に盛岡車両修繕工場で、ハズミ車の付いたミシン式の西洋足踏み旋盤を見て考案したというミシン式一人挽きを、坂下権太郎も継承し、隆蔵もその轆轤を使っていたことがわかる。
〔作品〕 〈鴻〉の第10回頒布品が少数知られている。2寸より1尺までで、嵌込み、キナキナ式の構造。描彩は泥絵具にて、よだれ掛に梅・菊・菖蒲などが描かれている。眼は大きく、黒眼の中に空白があって、甘い表情を出している。蛇ノ目に彎曲した鬢を描くが前髪はない。残る作品は多くない。
〔 15.5cm(昭和15年)(目黒一三)〕 坂下権太郎名義
〔右より 18.2cm(昭和15年)(鈴木康郎)、12.3cm(昭和15年)(池上明)〕
〔伝統〕 南部系
〔参考〕