佐藤良子(さとうりょうこ:1939~)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤一夫
弟子:
〔人物〕昭和14年9月5日仙台の会社員石川駒蔵の二女に生まれる。一家は良子が生まれた後、満州に渡ったが、戦後仙台に戻り、引き揚げ寮に住んで農業を行っていた。その仙台市幸町の実家の前に木地屋があって、毎日自家でつかう風呂の焚き付けをもらいに行っていたが、それが縁になってその木地屋佐藤一夫の嫁となった。
昭和36年、一夫は木地をやめて、東京に転出、サラリーマンとなり、クレーン運転士の資格を取って働いた。昭和49年には仙台に戻り、クレーンの仕事を続けていたが、昭和53年父米蔵が怪我で木地を挽けなくなったので、休日には遠刈田に戻って米蔵のために白木地を挽き、また自分でも描彩を始めるようになった。良子は昭和55年頃から夫の仕事を手伝うために描彩を始めた。昭和56年一夫の父米蔵が遠刈田で亡くなった。昭和60年に一夫一家は遠刈田に戻り、木地専業になった。しかし、一夫は忙しく、自分の木地を挽くのが精一杯の状態で、なかなか良子の分の木地まで手が回らなかった。仙台の愛好家佐藤茂の「自分でやったらいい」という勧めもあり、一夫に相談したところすぐにロクロを一台備えつけてくれたので、それ以降自分で木地を挽いて、それに描彩をするようになった。現在は、遠刈田新地に入ってすぐの左手に作業場と売店があり、夫婦でこけしを競作している。
〔作品〕 自ら木地を挽いてこけしを製作しているが、そのこけしは、女性らしい繊細さを保ちながら、決して甘くならず、気品のある作品となっている。
下掲は胴底に「1986 初作」の記入があり、おそらく遠刈田へ移り、自挽きで作った初作という意味であろう。
〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列