里見正雄

里見正雄(さとみまさお:1922~1981)

系統:作並系

師匠:佐藤賢治

弟子:里見正博

〔人物〕大正11年1月24日、仙台市福沢の鉄道員里見久作、さつのの長男に生まれた。
仙台市宮城野小学校をへて昭和12年図南中学校卒業、鉄道員となった。徴兵により水戸の航空通信隊に入隊、樺太をへて北海道帯広にて終戦除隊となった。
戦後再び国鉄に入ったが、昭和25年に退職し、仙台の佐藤賢治について木地を修業した。初めは新型を挽いていたが、昭和28年より伝統の型に取り組み、胞吉型を作るようになった。原町南目町にて挽いていたが、昭和43年より宮城県宮城郡宮城町芋沢大竹新田下(仙山線陸前落合駅の前)に移った。佐藤正廣とは隣家であり、共同の仕事場にロクロを並べた。胞吉型は長く仙台市中央通りの島貫商店等に却していた。
心臓を病んでしばらく静養をしていたが、昭和56年10月29日仙台私立病院において没した、行年60歳。

里見正雄 昭和36年 撮影:露木昶

里見正雄 昭和43年

〔作品〕胞吉型は独学であったが古品などを良く研究して自分の型として完成させた。研究は非常に熱心で、土橋慶三の紹介を介して久松保夫を訪ね、コレクション中の胞吉を精細に調査したこともあった。くびれ型の形状を知るために胴の各部の寸法をノギスで測ったという。昭和50年代においては、完成度の高い胞吉型の作者としての評価を得ていた。


 〔右より 30.3cm(昭和54年)、40.3cm、36.4cm(昭和55年)(高井佐寿)〕

系統〕作並系 高橋胞吉の型を継承。

〔参考〕

  • 稲葉義男:里見正雄さんのこと〈こけしのささやき・3〉(昭和53年4月)
  • 柴田長吉郎:里見正雄と胞吉型こけし〈こけし手帖・249〉(昭和56年12月)

 

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