高橋忠臣

高橋忠臣(たかはしただおみ:1925~1950)

系統:土湯系

師匠:高橋忠蔵

弟子:

〔人物〕大正14年9月1日、高橋忠蔵、ミンの次男として、福島県相馬郡原ノ町に生まる。高橋佳隆に嫁いだ昌子は妹である。昭和15年、16歳のとき宮城県遠刈田温泉の北岡商店に徒弟として入る。当時、北岡の職人をしていた佐藤豊治に指導を受ける約束であったが、豊治は北岡商店の業務に追われ、木地の指導を受けることはほとんど出来なかった。やむなく半年ほどで原ノ町に帰り、父忠蔵について改めて木地を修業、こけしも作った。健康の関係から約一年で木地をやめ、同地の時計店に奉公したが、その後原ノ町病院のレントゲン技師に転業。昭和25年2月19日、福島県原町南東原にて没、26歳。

〔作品〕 昭和15年7月に製作したこけしが知られている。〈こけし研究ノート〉に写真掲載あり、当時の忠蔵こけしを木地・描彩ともに忠実に継承している。表情は忠蔵のような鋭さはなく、後の義弟住隆のこけしに似る。下掲6寸もほぼ同時期の作であろう。こけし製作は一年ほどであり、残る作品は極めて少ない。


〔 18.3cm(昭和15年)(ひやね)〕

 〔伝統〕土湯系鯖湖亜系

〔参考〕

不鮮明であるが〈こけし研究ノート〉には下の16歳作4本の写真が掲載された。


〈こけし研究ノート・Ⅱ-NO.2〉(昭和40年6月刊)に掲載された忠臣のこけし 昭和15年7月作

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