千田美千雄

千田美千雄(せんだみちお:生年不明~)

系統:独立系

師匠:

弟子:

〔人物〕生年月日、出身地など不明。昭和14年10月の東京こけし會〈こけし・3〉に「新作者 西田氏旅中より新作者をご通知下さる」として千田美千雄の名が掲載された。また同東京こけし會〈こけし・5〉(昭和15年正月)に西田峯吉寄稿として「千田美千雄(山形県上ノ山) 木地は同地の木村吉太郎が提供してゐましたが、最近動力を据え付けた由、こけし応用のブラシも製作してゐる。」と紹介された。


西田峯吉による紹介の載った〈こけし・3~5〉

昭和16年仙台鉄道局発行の〈東北の玩具〉改訂版によると、山形県南村山郡上ノ山町新湯の描彩のみの工人として掲載されている。

〔作品〕下掲は〈こけし辞典〉掲載のもの。写実的菊花を描きオカッパの新型風の描彩である。東京こけし会機関誌〈こけし・5号の記載に初期には木村吉太郎の木地に描彩のみをしていたとあるから木地は吉太郎かも知れない。


〔9cm(昭和12年)(沼倉孝彦)〕 久松保夫旧蔵

下掲は髷付きであるが上掲の作風に近い。


〔6.0cm(昭和12年頃)(高井佐寿)〕

下掲のこけしは胴底に千田美千雄と署名のある8寸、作風、特に木地の形態は上掲のこけしとかなり違う


〔24.8cm(昭和13年頃)(ひやね)〕


〔12.8cm(昭和13年頃)(沼倉孝彦)〕

上掲二本の木地は、木村吉太郎ではなく、小林吉太郎のような山形系の作者のように見える。描彩も山形系に近い。
おそらく千田美千雄は描彩専門であるから、その時期に依頼可能な木地職人に注文し、その木地に描彩をしていたのであろう。

昭和14年頃より動力を据えて自ら木地を挽くようになった。こけしブラシなどこけし応用品の製作が多かった。

〔伝統〕独立系。 伝統こけしとして何系と言う議論をするまでの作品ではなく、戦前の温泉地でただ観光土産として作られたものかもしれない。

 

 

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