菅原とめよ(すがわらとめよ:1905~1990)
系統:遠刈田系
師匠:菅原庄七より見取り
弟子:
〔人物〕明治38年3月7日、宮城県秋保湯元の山尾武四郎、えいの四女に生まれる。大正15年9月秋保のこけし工人菅原庄七と結婚、昭和12年に長男敏が誕生した。待望の一人息子であった。昭和45年66歳のとき、敏の木地にこけしの描彩を始めた。こけしには「とめ」と署名した。夫の庄七は昭和45年頃から高血圧のためほとんどこけし製作が出来なくなったので、それがとめが描彩を始める動機になったかも知れない。庄七は昭和47年2月12日に亡くなった。
とめは平成2年11月14日に没した、行年86歳。
〔作品〕忠実に夫菅原庄七の様式に従ったこけしを作った。
〔伝統〕遠刈田系秋保亜系
〔参考〕