鈴木鼓堂

〔人物〕

鈴木鼓堂

明治29年7月8日、名古屋市中区西洲崎町の能楽器商塗師藤七(本名鈴木清次)の長男に生まれた。本名は磯吉。先祖は尾張藩に仕える武士で、江戸時代末期、祖父の鈴木右膳重敬が始めた鼓作りを継承し、「ぬし藤」の三代目となった。鼓製作の技術は15歳より父清次の厳しい指導を受け、その中から独自の作風を確立した。
昭和53年、鼓製作者として文部大臣より重要無形文化財選定保存技術者に認定された。
昭和58年6月14日心不全のため逝去、行年88歳。


鈴木鼓堂、昭和10年〈愛玩〉より

 郷土玩具を集めるに至ったのは、生まれた名古屋市中区西洲崎町(その後名古屋市中区東洲崎町26で独立)の氏神が五色鈴で有名な洲崎神社で、姓が鈴木で鈴を集めるようになったからである。また猿の玩具は干支が猿のためである。保存に都合が良い為、最初は小さい玩具から始めたという。
こけしに興味を持ったのはいつ頃か、判然としないが、有名な宮本惣七の2本は大正10年頃で、佐藤栄治の大寸物はさらに古いと思われ、直接入手したものか、有坂与太郎など古い玩友からのものか不明である。いずれにせよ昭和初期からこけしや郷土玩具を蒐集したという。


〔右より 18.5cm、18.0cm(大正中期)(鈴木鼓堂旧蔵)〕

こうした古いものから、昭和50年代までこけし中心に集め、膨大なコレクションを形成した。また少寸・豆こけしは専ら奥様の管理下にあったと聞くが、優に700本を超え、質量ともまさに日本一を誇っていた。
昭和12年頃に四光會の浜島静波、伊藤蝠堂、松岡香一路、吉野愛玩人に加え、村手春風、加藤春樓、鈴木鼓堂等が加わり人数が増えて郷玩軍を結成したが、その時各人がそれぞれ主蒐品を決め分担蒐集すれば、各人がそれに深く集中し、さらに玩具展を開催するにも便であるということになった。主蒐品を決める際に、鈴木鼓堂はこけしを担当することになり、以降こけしに集中し日本有数のこけし蒐集家となった。


こけし部屋、昭和30年頃 右の掛け軸は下村作二郎
左上は妻女ゆき所蔵になる少寸こけし。

〈鯛車 58号 こけし特編号〉昭和13年5月日本民族玩具協会刊に「こけし管見」という記事があり、こけしの木地と描彩が別の場合について書いている。本人が鼓作りの名工だけに、轆轤と描彩の関係に気になっていたようである。轆轤や木地の爪痕等の記載があり、当時としては先進的な内容であった。


「こけし管見」〈鯛車 58号 こけし特編号〉
昭和13年5月日本民族玩具協会刊

『名古屋こけし会』(戦前)は昭和14年11月に発足、昭和19年7月頃まで活動した中京地区のこけし会であるが、濱島静波、鈴木鼓堂はいわば顧問格として名古屋こけし会に関与していた。発足の挨拶文に「東京こけし会につゞいて関西こけし会が設立されその中間にある当地にも之が必要に迫られ、この度先輩諸氏の支援により名古屋こけし会の誕生を見るに至りました~」とある。戦前の中京地区こけし愛好者の心の拠り所であった。

左:鈴木鼓堂 右:浅野一恕

こけし啓蒙に尽くし、気楽にこけしの展示を引き受け、紛失や盗難にもあったが、歯牙にもかけず続けていたことは大人の風格であった。大きい展覧会としては、昭和15年に「趣味の蒐集展東北玩具こけしー皇紀二千六百年奉祝」三星百貨店(当時)で開いた展示であろう。

名古屋こけし教室で解説をする鈴木鼓堂

『名古屋こけし会』(戦後)は昭和41年7月23日、鈴木鼓堂を会長として発足、幹事は可部忠雄、浅野一恕、豊田勘一であった。鼓堂コレクションの古品の中から復元したものを主に頒布し、戦後の名品といわれるものを数多く頒布した事は頒布担当可部忠雄の功績である。その後山本吉美、矢田正生等が跡を継いだ。伊勢に居た、川口貫一郎もしばしば例会に登場し、昔話に花を咲かせた。

左:鈴木鼓堂 右:可部忠雄

なお鈴木鼓堂は戦後も名古屋で何回もこけし啓蒙の為に、コレクション展を行った。
昭和33年10月16日~10月21日、中部日本新聞社主催で丸栄百貨店で開催された「現代人形博」にも出品した。


記念誌の書影

特に昭和34年3月1日から8日までは、中部日本新聞社主催で鈴木鼓堂の「私のコレクション展」が名古屋松坂屋で開催された。その時ショーウィンドウに陳列された5尺の小椋久太郎は花井定彦(明治39年3月16日生まれで映画館を経営した。名古屋市中区)の出品であった。


「私のコレクション展」主催中部日本新聞社
松坂屋のショーウインドウに展示された5尺の久太郎。右は2尺7寸8分の栄治


「私のコレクション展」展示風景 於いて名古屋松坂屋 

なお、その他の展示会出品は下掲の年譜にまとめられている。蒐集の集大成は、写真集「愛玩鼓楽・鈴木鼓堂コレクション」(昭和60年8月)グラフィック社から山本吉美・矢田正生・箕輪新一編で刊行された。なお鼓堂の経歴・執筆文献等については同書の246ページ(下掲年譜)に詳しくまとめられているので参照されたい。

鈴木鼓童年譜

古品コレクションの多くは、その後忠蔵庵相良都義の手を通して次世代の蒐集家に分散していった。

鈴木鼓堂 こけし部屋

〔参考〕

  • 山本吉美・矢田正生・箕輪新一:〈愛玩鼓楽・鈴木鼓堂コレクション〉(昭和60年8月)グラフィック社
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