明治39年11月1日から28日まで京都市教育会主催で岡崎町博覧会館で開催された博覧会。
このこども博覧会では、玩具,人形,文房具,小学校生徒の手工品等の出品物展示があり、さらに余興運動場,府立図書館臨時設計による児童図書館,幻燈室,売店,飲食店等が開設され、また出品物の審査も行われた。
博覧会の趣旨として「児童用品の改善発達を図り、学校教育、家庭教育上の参考に資し、併せて児童に清新なる興味と娯楽を与ふるは教育の発展に極めて必要なることにして、近来ままこども博覧会のごとき計画を見るに至る」としている。
会長は、法学博士木下廣次、ほかに役員約50名の体制で運営された。28日間の入場者は19万675名と記録されている。
出品は、第一部・玩具、遊戯具、標本類等、第二部・楽器、体操運動用具、図書、文房具等、第三部・衣類、靴、装身用具等、第四部・食料品並びに住居に関するもの、第五部・参考品(内外古今の玩弄品)等に分けられていた。
古参考品として、鳳輦(久邇宮家)、五人囃子地謡御人形(茂山千五郎蔵)、投壺(大聖寺蔵)、雛・人形類(霊鑑寺蔵)、鎮花祭人形(本派本願寺什)、その他が陳列された。
また新参考品として、遊具、玩具、教材、標本、人形、生徒作品、海外人形、絵本
このとき、東京の清水晴風が古代玩具一式を出品して、その写真が残っているが、この中に下記3本のこけしが確認できる。
古代玩具 清水晴風出品
中央右手に寝かされているのが今野新四郎作
中央後方は左:大沼甚四郎、右:宮本惣七
- 大沼甚四郎:一ノ関こけし這子として上野のこども博覧会に出品されたものと同じもの
- 宮本惣七:〈うなゐの友〉に晴風の絵として紹介されたこけしの現物
- 今野新四郎:上掲写真で寝かされているもの(下掲写真のこけし)
今野新四郎 〔18.5cm(明治30年代)(花筐これくしょん)〕 清水晴風旧蔵
宮本惣七 清水晴風旧蔵
〈うなゐの友〉のモデルとなったこけし
〔参考〕