明治39年5月4日より2週間にわたり東京上野公園5号館で開催された博覧会。
明治38年9月頃,沼田藤次(作家)、樋口勘次郎(教育学者)等がパリで開催された「こども博覧
会」に刺激を受けて、日本における開催を思い立ち、樋口勘次郎が教育関係の機関紙を発行していた同文館に話をした。翌年が丁度同文館の創業10周年にあたっていたこともあり、その記念事業として同文館が資金を出して博覧会を開くこととなった。福田琴月(作家)、沼田藤次等が中心となり,前年のパリ「こども博覧会」を視察した久保田米斎(画家)と相談して企画を進めた。
東久世伯爵に会長を依頼し、賛助員も相当数集めることができた。
12月1日第1回幹事会において大体の方針を決定し、幹事とその役割を決めた。会長及び幹事は以下の通り。
会長 東久世伯爵
幹事 豊原清作 沼田藤次 吉浦祐二 久保田米斎、
桑谷定逸 福田琴月 塩谷濤作
柴田常恵 樋口勘次郎 関以雄 杉原茂樹
博覧会は、上野公園5号館において、明治39年5月4日より5月19日まで開催された。
博覧会への出品は。91個人、37団体(幼稚園、小学校、盲唖学校、女学校、鈴木出版社、博物館、農商務省等)からあり、それらを第1部から第6部に分けて陳列した
出品物の分類は以下の通りである.
第1部:図書、絵画、写真、彫刻品、文房具類.
第2部:衣服調度類.
第3部:体操、音楽に要する諸器械類、食料品、住居に関するもの.
第4部:玩具、遊戯に関するもの.
第5部:児童の製作品.
第6部:児童教育上の参考品、各部に漏れたもの.
こけしは第4部に出品された。出品者は清水晴風、出品されたこけしは「一ノ関こけし這子」であった。奥州一ノ関として出品されているが、このこけしは現在鳴子の「日本こけし館」にある林若樹旧蔵の大沼甚四郎であった。この甚四郎古作には一ノ関産の背文字が書かれている。
〔 24.8cm(明治30年代)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
〔参考〕