平瀬徳治

平瀬徳治(ひらせとくじ:1913~1998)

系統:南部系

師匠:平瀬貞吉

弟子:

〔人物〕大正2年4月19日に米穀仲買人、平瀬長蔵の四男として秋田県仙北郡角館町に生まれた。次兄は貞吉で、現在3本しか確認されていない角館こけしの描彩者として知られている。祖父、長八は角館春慶塗の創始者で明治期に最盛期を迎えたが大正期になると本漆に押されて存亡の危機に瀕した。貞吉は樺細工との共同企画等の新しい試みを商品化して付加価値を付けて復活させた中興の祖であった。また桜皮細工にも手を出して角館人形と云う郷土人形を製作した。三男松次郎は能代工業講習所の挽物課を卒業して貞吉を手伝っていたが戦死した。
徳治もそのような環境下で木工品との関わりは強く、盆の下絵等を手伝った。角館町下岩瀬町4で内装業を営みながら貞吉より継承した桜皮細工の角館人形を製作し、昭和36年の秋田国体の際には角館役場の要請で枝垂れ桜のお土産こけしを製作した。
豊橋市のこけし愛好家佐藤辰夫が国体のお土産こけしを所蔵していて、それを追求した結果、徳治の作品と判明した。数度の手紙での依頼と、平成7年5月27日の佐藤辰夫の徳治訪問により、平成7年6月25日に数本のこけしが描かれ送られてきた。泥絵具で描かれた実に35年ぶりのこけしは、83歳の老人が描いた作品とは思えない筆致であった。
平成10年12月7日没、行年86歳。角館町の報身寺に葬られた。

平瀬徳治 

〔作品〕平成7年に送られてきたもののうち、貞吉型(下掲中央二本)は南部系の様式である。
貞吉型の二本はラッココレクションの平瀬貞吉図版を参考として作ったものらしい。
中央のアヤメ模様の貞吉型は、徳治の発案で春慶塗りのお盆の下絵に描いた模様をこけしに応用したものという。描彩は徳治であるが、木地は誰が挽いたか明確ではない。


〔右より桜皮加工(6.0㎝、9.0㎝)角館人形、(15.5㎝)貞吉型・立菊模様、(18.3㎝)貞吉型・アヤメ模様、(15.0㎝)本人型・枝垂桜模様(平成7年)(中根巌)〕

 〔伝統〕貞吉型についてはその形態から明らかに南部系であるが、兄の貞吉自体に関しても、そのこけしの伝統的系譜ははっきりしていない。

〔参考〕

  • 佐藤辰夫:角館の平瀬こけし〈棚の中のこけし・4〉(平成7年8月)
     採録〈木でこ・159〉(平成8年11月)
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