佐藤慶明(さとうよしあき:1936~)
系統:弥治郎系
師匠:佐藤辰雄
弟子:高田稔雄
〔人物〕 昭和11年5月13日宮城県刈田郡福岡村弥治郎の農業・林業佐藤昇・きくの二男に生まれる。母きくは佐藤今三郎の長女。佐藤辰雄は長兄、慶春は弟にあたる。昭和26年白石市福岡中学校卒業後、弥治郎の佐藤辰雄について木地を学び、その後しばらく辰雄の工場で働いた。昭和30年5月に新型こけし見習いのため白石市に移ったが、こけしの売れ行きは思わしくなかった。昭和32年に結婚、二女を儲けたが生活は苦しく、母の勧めもあって、まもなく鎌先温泉一條旅館の番頭として働くことにした。昭和35年には弟の慶春も木地業に見切りをつけて、上京した。
昭和42年一條旅館を退職してから、白石市寿山の自宅で伝統こけしを再び作るようになった。高田稔雄は慶明の工房で木地を挽いていたことがあり、また慶明より指導も受けた。
〔作品〕辰雄の工場で働いた時期、一條旅館に勤める前の白石時代、それぞれにこけしを作った。兄辰雄の様式を継承したものだったが作品数は必ずしも多くはない。
主な作品は、本格的に再開した昭和42年以降のものである。
本人型のほかに、幸太型、今三郎型、春二型を作る。
〔系統〕弥治郎系幸太系列