尾崎清次

愛知県出身で神戸で開業した小児科医。郷土玩具全般を集めて、玩具図譜5巻を刊行した。日本のものが中心であるが琉球や朝鮮の玩具も網羅している。大正13年11月より同15年8月にかけて活動した関西で最も古い郷土玩具研究の同好会である婢子会の同人であった。婢子会の主宰は友野祐三郎で尾崎の他に、筒井英雄、黒田源次、西原豊が同人となった。昭和4年には、直接朝鮮へ蒐集旅行にでかけた。
尾崎は版画もよくしたが、版画は当時の趣味家たちのたしなみのひとつでもあり、その通信や葉書類に多くの版画が残っている。出版した図譜にも多くの自刻自刷の版画が使われている。
尾崎は魯迅の信奉者でもあり、神戸の華僑の人たちとの着き合いもあった。神戸華僑の新集体版画協会の代表だった李平凡とも交流があり、李平凡が中国に帰国した後は、尾崎が新集体版画協会と李平凡のつなぎ役となっていた。画家の徐悲鴻とも交流があったらしい。
妻女の関久子は歌人であり平和運動家であって、夫清次の玩具研究のパートナーでもあった。玩具蒐集や版画集の出版に協力した。


玩具図譜 (復刻)

尾崎清次の玩具への関心は、主に昭和5年頃までであったと言われている。
婢子会の日本土俗玩具集に掲載されたこけしは筒井英雄の出品と思われ、尾崎がこけしにどの程度興味を持っていたか定かではない。
ただ、こけしを扱った版画は玩具図譜の中にもある。


「小児の幸福を祈りて贈る玩具」(昭和6年1月)〈玩具図譜〉所載

これは熱塩佐藤春二のこけしをスケッチしたものであろう。


佐藤春二孕みこけし(箕輪新一)

尾崎清次のコレクションは、兵庫県神崎郡香寺町の日本玩具博物館に寄贈された。

 

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