伊藤泰輔(いとうたいすけ:生年不明~)
系統:蔵王高湯系
師匠:岡崎栄治郎/石沢角四郎
弟子:
岡崎栄治郎が山形市七日町柳町で木地業を営んでいたときの弟子。山形専売局に勁めていたが、怪我をして巡視となり、巡視の仕事が一昼夜交代のため、隔日に栄治郎の店へ来て木地を習った。栄治郎とは縁故があったらしい。村上周蔵は兄弟弟子である。
大正5年秋、栄治郎が北海道へ渡った後は、石沢角四郎に木地を習い、大正6年薬師町の自宅で木地屋を開業した。専売局を退職したのはその後のことで、開業のころは兼業だったという。まもなく角四郎が米沢へ移り、その後泰輔は小林吉三郎に道具の作り方を習いに来たこともあったというが、やがて家を売って鉄砲町へ移り、その後桐生のほうへ行ったという〈吉田慶二:聞書木地屋の生活〉。また、柏倉勝郎によれば、大正年間及位の落合滝の新及位木工所で、おもに事務的な仕事をしていたともいう。この頃、新及位木工所には深瀬国雄、神尾長八、武田弘、大宮安次郎、渡辺幸九郎などが職人をしていた。渡辺幸九郎がこの木工所に来たのは伊藤泰輔の紹介によるという。伊藤泰輔がこけしの作者であったかどうかははっきりしない。作ったとすれば蔵王高湯様式だったであろう。