佐藤長雄

佐藤長雄(さとうながお:1926~2008)

系統:南部系, 遠刈田系, 鳴子系

師匠:佐藤寅吉

弟子:

〔人物〕大正15年11月11日、宮城県角田市の農業鈴木栄吉、みつせの四人兄弟の次男として生まれた。尋常小学校高等科卒業後に白石に出て自動車の電気関係の仕事に従事していた。終戦前に志願して兵役に服した。復員後再び電気の仕事に戻り白石の木地屋のモーター修理に歩いているうちに、木地挽きに興味を持った。昭和23年、23歳の時に佐藤寅吉に弟子入りした。
 佐藤寅吉は白石の石屋の息子として明治30年代前半に生まれた。兄の佐吉は明治29年生まれで〈こけし辞典〉に項目があり、「明治29年ころ、白石の石屋の息子として生まれる。<友晴著>によると大正5年、21歳で茂吉に弟子入りしたとある。翌年の県当局による小室の木地講習会では茂吉が教師をしたため、この木地講習会で木地修業をしたらしい。我妻庄三郎によると、佐吉は弟と二人でこの講習会で習ったとのことである。こけしは作ったとおもわれるが不明。」とある。
〈こけし辞典〉に出て来る弟というのが長雄の師匠寅吉である。寅吉は兄佐吉と共に茂吉について木地修業をしたが、兄佐吉は道楽者で家に居つかぬので、寅吉は石屋の仕事もした。その後、佐吉は借金を作り、逃げるように北海道へ出て行った。熱心なキリスト教信者でもあった寅吉は、遠刈田修業中は文助と相弟子で仲も良かったという。戦後は家具等の木工品を作るかたわら創作こけしも作っていた。寅吉は鍛冶の腕もたち、多くの工人の鉋や錐を作った。石屋をしていて痛めた目が次第に悪化して晩年は失明同然となったが、90歳近くまで生き昭和55年に亡くなった。
 長雄の寅吉への弟子入り条件はロクロを購入する事であった。なけなしの800円を出して轆轤を購入して昭和23年に弟子入りを認められた。以後、住込みで盆やペン軸を挽き、27歳で独立した。この頃、結婚して養子に入り佐藤姓となった。戦後の復興景気にも乗り、職人を7人程使っている時期もあったが、義理の父親とそりが合わず、昭和34年に花巻に引越して幸(さいわい)工芸社に勤めた。幸工芸社では佐藤英吉と入替りとなっている。ここで数年働き花巻物産に移り家具の脚や木地玩具等を挽いた。昭和40年に独立して新型の「椿こけし」を作り始めた。同時に丸頭のキナキナも製作した。長雄の自宅近くにあった花巻温泉のバラ園は観光名物で、シーズン中は園内で実演をさせてもらいよく売れた。昭和55年4月より大沼俊春の内弟子となり、鳴子系の俊春型の製作を許され、菱菊と楓模様の2種のこけしを作り、同時に俊春が作っていたラッキョ頭の松田徳太郎型のキナキナも伝承して製作した。大沼俊春との出会いは、昭和38年に同郷の佐藤誠を二枚橋に訪ねたところ、そこに俊春も遊びに来ていて紹介された。以後、交際を深めて鍛冶作業が得手で無かった俊春に道具作りを教え、俊春からは鳴子こけしの描彩を教えて貰って内弟子となった。
その後、大沼俊春からの鳴子様式のこけし、寅吉の師匠佐藤茂吉の型、南部系の過去の工人たちのこけしの復元を行った。
平成10年代はじめまで製作を続けたが、その後持病の糖尿病が悪化して製作数は減少した。平成20年前後に亡くなった。

〔作品〕下掲は大沼俊春譲りの鳴子様式のこけし。


〔右より 24.1㎝(平成8年8月)、23.7㎝(平成8年8月)(中根巌)〕
右端は大沼俊春から継承した大沼甚四郎の様式。

また、廃絶していた藤原政五郎型を昭和62年に一時的に製作した。


〔31.0㎝(昭和62年3月)(中根巌)〕藤原政五郎型(藤原新吾手)

平成8年には大師匠にあたる佐藤茂吉を研究して復元した。新型特有の媚びた笑顔の癖が中々抜けなかったが、11月くらいから茂吉らしくなった。平成9年1月12日の名古屋こけし会208回例会で8寸が頒布された。


〔右より 24.4㎝(平成8年11月)、17.7㎝(平成8年9月)(中根巌)〕茂吉型

平成9年には高橋純逸型や鉛不明こけしなど南部系の各種こけしを作ったが、その特徴を的確に把握して再現しており、大変器用な工人であった。


〔右より 16.0㎝(平成10年3月)松田一家型、19.0㎝(平成8年8月)本人型、18.8㎝(平成8年8月)徳太郎型、18.3㎝(平成10年3月)政五郎型、16.3㎝(平成10年3月)高橋純逸型、15.2㎝(平成10年3月)鉛不明型〕

長雄はまた下掲のような変形キナキナを製作したこともある。


〔(24.0㎝)(平成10年3月)(中根巌)〕

系統〕 鳴子系、南部系、遠刈田系

〔参考〕
佐藤長雄には新型の「椿こけし」の作者として長い経歴がある。
斎藤斉(昭和6年3月22日生、花巻市山の神に住んだ)は佐藤長雄と佐藤一夫二人の弟子であった。斉も既に死亡している。
斉のこけしは新型であったが下掲右のように若干藤井梅吉風の意匠を感じさせるこけしも作った。


〔右より 21.3㎝(平成12年8月)斎藤斉の作、24.2㎝(平成8年8月)佐藤長雄の新型「椿こけし」(中根巌)〕

斎藤斉は新型を中心にこけしの製作を行ったが、下掲のように佐藤一夫の型に取り組んだこともあった。


〔右より 佐藤一夫(15.5㎝)(昭和46年1月)、斎藤斉(17.8㎝)(昭和50年8月)(中根巌)〕
柿木茂旧蔵

  • 中根巌:珍しいこけし(四)〈伊勢こけし会だより・165〉(令和3年3月)
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