こけしのアルケオロジー

「アルケオロジー(archéologie)」とは本来「考古学」を意味するフランス語。ただフランスの哲学者ミシェル・フーコーが「知の考古学」などで「アルケオロジー」という言葉を使いだしてから、すこし特別の使われ方をするようになった。
しかし、ここではそのような難解な議論には触れない。ある既成概念によって、そういうものだと理解されていたものの殻を外していって、本来の実態に迫っていく試みを言う。
戦後「伝統こけし」という概念が作られ、その強化を続けることによって「新型こけし」「創作こけし」というものとの明確な区別付けを行うということに多大な努力がはらわれてきた。これによりこけしが「新型こけし」「創作こけし」と同化していくのを防ぐことが出来た。しかし、それと同時に本来のこけしの中から何か大事なものまでが切り落とされてしまったのではないかという危惧がある。

〈こげすんぼこ・第4号〉(平成6年6月)

〈こげすんぼこ・第4号〉「こけしの実像と虚像」では新型・創作に対置する伝統こけしの「あるべき姿」として、従来次のような理想像が掲げられてきたとした。

  1. 工人は父子相伝・師弟相伝であるべき・・長年の不断の修行
  2. 個人の創作を排除し祖型を忠実に伝承したものであるべき
  3. 復元・模作は好ましくない・・作者の個性が大事
  4. みちのくの精神、純真・素朴な子供のこころが理想

しかし〈こけし辞典〉などで多くの工人の実例が集められてみると、具体的な工人の経歴や、その工人が自分の様式を確立していく過程では、上記のような「あるべき姿」にはかならずしも該当しない。むしろ当て嵌まらない場合の方が大部分であることがわかってきた。
「新型こけし、創作こけし」と「伝統こけし」を峻別するために「あるべき姿」はある程度役に立ったかもしれないが、一方でこうした概念規定にとらわれて「伝統こけし」が窮屈な枠にはめられ、本来の自由な創造力を失ってしまったのではないかという危惧を持つ人が平成に入ると現れるようになった。
そこで本来のこけしが持っていたであろうもの、しかし虚像である「あるべき姿」ゆえに消されてしまったものを丹念に拾い集めて「伝統こけし」というもの本来の姿、すなわち実像を再構築しよう、あるいは「あるべき姿」の持っているやや教条的な虚像の薄皮を一枚一枚はがしていってこけし本来の姿(実像)を発掘していこうという試みが色々な形でおこなわれた。そうしたアプローチを「こけしの実像と虚像」の中では「こけしのアルケオロジー」と呼んでいた。
「こけしのアルケオロジー」を意図して行ったか否かはともかくとして、この時期から「前人の作品の作為なき継承によってこそ正しい伝統こけしは生まれる」といった幻想から離れて、「最初にこけしが作られた時の工人の気持ちや熱意を掘り起こし追体験しながら今日のこけしを作ってみよう」という企画、あるいは運動がいくつか生まれてきた。

  1. 新しい伝統こけし展
    仙台郷土玩具の会の主催で平成2年6月に東北電力グリーンプラザ・ギャラリーで開催されたこけし展。本企画は、必ずしもこけしの古い様式を発掘しようとするものではなかったが、伝統こけしの「あるべき姿」に縛られて、昔の工人たちが本来持っていた健全な創作衝動が発揮できずにいる状況からの解放を期待する運動であった。

    新しい伝統こけし展


    この展覧会の趣旨を高橋五郎は次のように述べている。
     「こけしは、広く国内外に知られた東北を代表する特産民芸品です。こけしは木地師によって作り始められ、代々受け継がれてきました。 200年近い歴史を侍つこけしは、昭和20年代以降『伝続こけし』と呼ばれています。 しかしながら、時代の経過とともに、造形・描彩の様式化・固定化が顕著となり、こけし本来の素朴な美しさ、個々のこけしの活力あるおもしろさが薄れつつあることも事実です。
     本展は現代に生きるこけし工人が『これからのこけし』の水準向上を目標に、長年伝承されてきた製作技法・描彩様式を厳守しながらも、それに現代の感覚を盛り込んで創意工夫を加えた最新作の展覧会です。今回のような目的意識をもって製作された ”伝続こけし展” は、こけし史上初のことと言えるでしょう。本展が、新時代のこけしの方向性を示す端緒になることを願っております。」
    この「新しい伝統こけし展」は少なくとも平成6年の第3回展まで開催されている。各作者は各系統の約束事に基本的に従いながら、新しい意匠の発現に努力した。

  2. 企画展「土湯こけし誕生を現役工人と探る」
    西田記念館の企画展で平成25年に、土湯の現役工人が土湯こけしの誕生時のこけしを想像で作ってみるというテーマで開催された。相原聡子学芸員によると「足踏みの一人挽きロクロが導入される前の二人挽き時代は、ロクロを使った絵付けは行われなかったので、ロクロ模様はない可能性が高い。」という前提だけ与えて作ってもらったという。

    左二本:野地三起子 右三本:太田孝淳

    左三本:阿部国敏 右三本:渡辺忠雄

    それぞれロクロ線を入れる場合でも、手でロクロ軸を廻しながら色をのせるというように二人挽きにこだわって作っていた。
    轆轤で色線を入れない時代の土湯再現は一つの挑戦であり、工人たちに刺激を与えた。

  3. 創生期の鳴子こけし
    宮城県加美町上狼塚の旧家から発見された創生期の鳴子こけし(作者は不明)をもとに、平成26年の全国こけし祭り(第60回の記念大会)の記念行事として鳴子の工人数名による再現が行われた。
    元になったこけしは描彩等が明確に判別できるわけではなく、各工人が自分たちの創意を加えて古式の様式を再現した。早坂利成はこの様式を自分の一つの型として定着させ、以後も作り続けている。


    左より 早坂利成、高橋武俊、佐藤賀広、桜井昭寛、柿澤是伸

  4. 二人挽き時代の弥治郎
    二人挽き時代の遠刈田ではロクロを使った色付は行わず、独楽に色を付けるのさえ鹿革の上で独楽を廻して色付したという。弥治郎でもロクロ線を用いたベレー模様や胴の巻き絵模様は、二人挽き時代には用いなかった。基本的には一人作業で出来る色付を二人作業で行うような非効率な方法は行わなかったのである。弥治郎の昔のこけしにおいて、手描きのみで絵付したという痕跡は佐藤伝内が祖母のとよや母のふよが描いていたこけしを再現したものを見ればわかる。栄五郎が母みわの描法を継承したと思われる手描きにもその手法は残っている。
    あやめ模様は弥治郎手描き時代の代表的な模様(スタンダード)であった可能性が高い。
    下掲は、中央の作者不明の黒こけし(胴模様は判別できない)の形態に、鎌田孝志、美奈枝夫妻が、手描き時代に盛んに描かれたであろうあやめ模様を試みた作品。飯坂の佐藤栄治の師匠であった佐藤常治の作品は未確認であるが、そのこけしをイメージして製作した。鎌田夫妻は二人挽き時代の弥治郎の様式に強い興味を持って再現に取り組み、魅力ある作品に仕上げた。孝志8寸、美奈枝6寸のあやめ模様の二本組は令和2年9月の名古屋こけし会で頒布された。


    左:鎌田孝志 中央:弥治郎不明 右:鎌田美奈枝(令和2年)

    同様に二人挽き時代の巻き絵を用いない頃の弥治郎古こけしの追求は高田稔雄や弥治郎の何人かの工人により試みられている。下掲は高田稔雄が手描き時代の佐藤東吉家(栄治、幸太の実家)のこけしを思い描きながら再現したもの。


    高田稔雄 〔右より 12.0cm、18.0cm、15.0cm(令和2年8月)(橋本正明)〕

  5. 明治期の鈴木庸吉から高野幸八の再現
    高野幸八は品川山三から米浪庄弌のもとに入った二本、特にロクロ模様の19.0cmが有名である。しかし鳴子でロクロ模様は例外的であり、あるいは山三佐野健吉老の特注であったかも知れない。本来の幸八はどんなこけしであっただろうか? そこで参考になるのは塚越勇が発見した明治期肘折時代の鈴木庸吉のこけしである。庸吉は幸八の弟子でこの時期には師匠幸八の意匠をかなり忠実に守っていたであろう。保存状態は完璧ではないが、胴の模様はよくわかる。特に立ち菊の胴模様は他にあまり見たことのない様式である。この模様が師の幸八から伝承された胴模様であったとして、幸八がこの様式でこけしを作ったらどうであったかを松田大弘が試みたのが下掲の作である。古作に見られる気品もあって、意味のある再現となった。


    松田大弘 〔18.0cm(令和2年8月)(橋本正明)〕

1から6までは従来の所謂「復元」や「写し」ではない。従来主張されてきた「伝統こけし」の「あるべき姿」という既成の枠を超えていく試み、すなわち「こけしのアルケオロジー」の一翼を担って行く試みと言ってもよい。こうした試みがさらに成功するためには、おそらく、こけしが誕生した時代に受け入れられていた図案や意匠の知識、そして図象学的な考証も必要であり、湯治に訪れた農民たちが何を願って、何を期待してこけしを求めていたかに対する豊かな想像力や考察力も必要であろう。
こうしたアルケオロジー的な古作再現は、伝統こけしが存続していくために進む新しい道の一つになるかもしれない。

〔参考〕

  • 橋本正明:こけしの実像と虚像〈こげすんぼこ・第4号〉(仙台郷土玩具の会)(平成6年6月)
  • 橋本正明:二人挽き時代の弥治郎〈木でこ・231〉(令和2年9月)
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