佐藤盛昭

山形県最上郡及位に木地工場を経営した人。盛昭本人が木地を挽いたか、あるいは経営にだけ携わった人かはっきりしない。明治35年に盛昭が肘折に行ったときに佐藤文六の仕事を見て、その木地の技術に強く惹かれて文六を自分の工場へ招聘した。文六は及位に良材トチが豊富であるという話に心を動かし、同年5月30日に及位に移った。間もなく肘折から家族を呼び、及位から一里ほど奥の仙北沢にある荒取り工場で働いた。大正3年文六は、佐藤盛昭の工場(及位木工所)を引き継ぐことになり及位の駅前に移った。
佐藤盛昭は大正3年に開催された大正博覧会に木地製品を出品している。この博覧会は東京府が主催して大正3年3月20日から7月31日まで東京の上野公園で開催された。最上郡及位村 佐藤盛昭の名前で茶盆、皿形盆、菓子器、煙草入が出品されている。これらは文六が挽いたものであったかも知れない。


大正3年大正博覧会(上野公園)出品目録(右端に佐藤盛昭の名がある)

佐藤盛昭の経歴の詳細は分かっていない。

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