佐藤吉五郎

佐藤吉五郎(さとうきちごろう:1877~1946)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤友吉

弟子:佐藤吉弥/佐藤留吉/佐藤吉之助

こけしの作者佐藤吉弥、吉之助兄弟の父。
元治元年2月28日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の佐藤友吉の三男に生まれた。吉弥、吉之助の父。明治9年13歳より、父友吉に師事、同10年ころはもっぱら兄茂吉の綱取として働き、二人挽きロクロを習得した。明治18年正月、田代寅之助について一人挽きを習得、以後本家で一人挽によって木地を続け、佐藤松之進や甥の吉郎平に一人挽の技法を伝えた。
明治19年に吉五郎は金毘羅詣を行っており、その道中記が残されている。

遠刈田 佐藤吉五郎の道中記(明治19年)
 遠刈田 佐藤吉五郎の道中記(明治19年)

道中記によれば、まず伊勢を訪れ、奈良、吉野、高野山を廻り大阪から蒸気船で多度津に上陸して金比羅を訪れている。帰りは、丸亀から船に乗り田野口、岡山、有馬を経て京見物をし、三井寺中山道を経て善光寺に参り、柏崎、新潟、新発田にいたり、米沢、赤湯、山形を経て、遠刈田に戻っている。
また、吉五郎は明治23年4月1日~7月31日の間、東京上野公園において開催された3回目の内国勧業博覧会に玩具ヤミヨを出品している。


第3回内国勧業博覧会 宮城県より玩具、教育用具の出品

明治42年分家して新地から遠刈田温泉に移り、明治44年より長男吉弥に、大正6年より次男留吉に、同8年より三男吉之助に木地の技術を教えた。大正10年から遠刈田の北岡木工所の職人として働くようになったが、同14年には木地をやめた。昭和23年7月12日に没した、行年85歳。
息子たちの言によれば、北岡の専属になる前はよくこけしを作ったとのことてあるが、確認できる作品は残っていない。吉弥、吉之助に近い剛直な作風のこけしを作ったと思われる。

〔参考〕

    • 箕輪新一:遠刈田古文書考(八)〈木の花・21〉(昭和54年6月)
    • 山本陽子:内国勧業博覧会とこけし産地の木地業〈きくわらべ・4〉(令和2年10月)

 

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