金山文太郎(かなやまぶんたろう:1899~1959)
系統:独立系
師匠:金山文治郎
弟子:梅木修一/金山文夫/金山文三
明治32年、山形県真室川町釜淵の木地業金山文治郎の長男に生まれた。父の文治郎は山形県五百川村白倉出身の木地師であった。文治郎の木地の修業経歴は不明である。
文太郎は車の玉、机や椅子の脚などが専門で、こけしは一切作らなかったという。後年には山形市宮町で木工所を営み、息子の文夫、文三、甥の梅木修一を弟子とした。昭和34年、山形市銅町で亡くなった。行年数え年61歳。
系統:独立系
師匠:金山文治郎
弟子:梅木修一/金山文夫/金山文三
明治32年、山形県真室川町釜淵の木地業金山文治郎の長男に生まれた。父の文治郎は山形県五百川村白倉出身の木地師であった。文治郎の木地の修業経歴は不明である。
文太郎は車の玉、机や椅子の脚などが専門で、こけしは一切作らなかったという。後年には山形市宮町で木工所を営み、息子の文夫、文三、甥の梅木修一を弟子とした。昭和34年、山形市銅町で亡くなった。行年数え年61歳。