盛諒祐

盛諒祐(もりりょうすけ:1992~)

系統:津軽系

師匠:盛美津雄

弟子:

〔人物〕 平成4年7月4日、こけし工人盛美津雄、綾子の二人兄弟の次男として、青森県黒石市温湯に生まれる。7歳年長の長兄がいる。小学校4年生の時に祖父眞一と一緒にズグリを作った事が轆轤との最初の出会いとなった。祖父の思いを肌で感じ、中学生の頃に家業を継ぐ事を決意した。高校3年生の平成21年に諒祐が中心となり校友3人とチェスの駒をこけしに変えた「こけス」を考案した。これは平成22年に青森新幹線が開通するにあたり「課題研究」と云う授業の中で、黒石市の新しい名産創作と云うテーマの基、諒祐が中心となり提案して数年後に商品化されマスコミにも取れ上げられ現在も販売されている。試作の「こけス」製作には美津雄と阿保六知秀も手を貸している。学卒後は10年間関東圏で働いて、知見を広げてから温湯に帰りこけし作りをする計画を立てた。埼玉県熊谷市に行き2つの異なる企業で9年間勤めた。熊谷の生活は充実していて実り多かったが、平成31年4月に実家に戻った。父の体調が思わしくなく、時代も平成から令和に変化する直前であり、修業を行うのには最適の時期と考え帰郷することにした。帰郷後は地元で働きながら週に何回か轆轤を廻した。令和2年に世界的な新型コロナウイルスが発生したため状況は一変した。当初の予定より前倒しで集中して修業を重ねることが出来、令和2年11月より本格的に取組むことが出来た。轆轤は応接室に設置されていた轆轤を使用している。美津雄は手取り足取りの指導ではなく、諒祐の自主性に任せている。これは秀太郎の教育方針でもある。こけしは、3月後半より製作して4月の初めから販売されている。

盛諒祐 令和3年4月

〔作品〕令和3年3月後半より製作して4月の初めから販売されている。初作の1番から11番までは番号を書いている。署名は「盛 りょう」となっている。現在も週末と観光シーズンは地元で手伝いをしているので、職業として継続的な製作をおこなうにはまだ時間を要する。軌道に乗るまで愛好家側も落ち着いた対応が必要である。


〔右より12.0㎝(7号)、12.7㎝(10号)、18.7㎝、18.2㎝、18.9㎝、10.2㎝(令和3年4月作)(中根巌)〕

〔伝統〕津軽系 
 盛秀太郎の後継者として期待される

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