ローブアパニーエ

パニーエ

ローブアパニーエ(robe à paniers)は、18世紀にヨーロッパでドレスなどのスカートを美しい形に広がらせるため、その下にパニーエとよぶ装具を着用した衣装形式をいう。パニーエ(panier)はフランス語で枝編み細工の籠の意。コルセットで上半身を締め付け、パニーエでスカートを膨らませることにより上半身の細さを強調するスタイルであった。初期のパニーエは木や藤で組んだ籠状のもの、後期には鯨鬚の円形の枠を何段かに分け、木綿、毛、絹などの布地に縫い込んで作った円錐形のものであった。
明治維新で開国となったのち、ヨーロッパから横浜などに海外の人たちが来て滞在するようになったが、その婦人たちはパーティなどを催すときに、このパニーエを装着したドレスをよく用いた。

弥治郎の小倉嘉三郎の弟茂松は、学校卒業後、2年間ほど横須賀の造船所に勤務したが、そのおり横浜などでローブアパニーエを纏った婦人たちをしばしば見かけて印象に強く残った。茂松は帰郷してこけしを作り始めたときに、この形態のこけしを作った。この形態は見た目も美しく、また胴下部が太くなることによりこけしが転倒しにくくなるので好評であり、兄の小倉嘉三郎やその弟子大野栄治も、ローブアパニーエの形態を採用したこけしを多く作るようになった。
鹿間時夫は〈こけし鑑賞〉の大野栄治のページで「鹿鳴館調のローブアパニーエの婦人服は(大野)栄治で面目を発揮する。」と書いた。


ローブアパニーエ様式 〔 右より 小倉嘉三郎 29.5cm(昭和6年)(北村育夫)、大野栄治 17.5cm(昭和7年頃)(鈴木康郎)〕

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