小椋栄三郎

小椋栄三郎(おぐらえいざぶろう:1842~1902)

系統:弥治郎系

師匠:小椋永吉

弟子:

横川の木地屋。天保13年12月10日、横川小椋永吉の長男に生まれた。栄三郎は父永吉の代に本家から分かれた新家で、鉋取りの名人且つ、新陰流の使い手、身の丈は五尺八寸あった。明治15年横川高橋米吉の家を建てるとき、梁の上で五貫匁のかけやを自由に振り回したという。栄三郎の弟の熊治は弥治郎の佐藤藤吉の姉おなみの婿となり別家した。熊治・おなみの子供が熊太郎で、のちの弥治郎の佐藤栄治である。栄三郎は八宮の大宮八右衛門二女さきを娶り、里う、永五郎、勘十郎、勘三郎、栄治郎、蔵人など多くの子をもうけた。里うは遠刈田新地の佐藤周治郎に嫁ぎ、勘三郎、通称豊之進は吉野家の婿となり、周治郎、栄治に木地を習って横川でこけしを作り、弥治郎に卸していたという。
栄三郎は明治35年9月24日、行年61歳で没した。横川木地業において重要な工人である。

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