東郷ハガネ

木地屋が用いる鉋には、国産の通常のハガネが使われていたが、日清戦争のあと頃から輸入の洋鋼が使われるようになった。
鳴子の高野幸八は、鉋の切れに自信があったようで「板丸兼ねての名人」という看板を掲げていたが、鳴子でいち早く洋鋼をつかったのも高野幸八だったようである。
鳴子湯元の坂の高亀の二軒上が高野幸八の家であったが、家の裏が繋がっていて行き来が自由だったので、幸八はよく亀三郎の家に来て茶飲み話などをしたという。高橋武蔵は若いころに茶のみ話をしに来ていた幸八から、「これはイギリスから入ってきた東郷ハガネというもんだ。」と言われてそのハガネをもらった。そのハガネで鉋を作ると実によく切れた。「イタヤのカナスジは硬いので国産のハガネで作った鉋は刃がやられるが、東郷ハガネで作った鉋はびくともしなかった。」と武蔵は語っていたという(高橋正吾談)。

東郷ハガネの商標

東郷ハガネという名称は、輸入元の英国アンドリュー社から、「洋鋼普及のために東郷大将の名前を商標に使ったらどうか」との話があり、またアンドリュー社の専務は東郷平八郎の英国留学時代に軍艦の操縦技術指導などで関わりがあったことなどをも踏まえて輸入販売を担当した金物商河合佐兵衡が採用したらしい。
東郷の派手な肖像を用いた商標は評判になったらしい。この商標は明治39年頃から使われたという。
橘文策〈木地屋のふるさと〉の「木地屋の用語」解説には「鉋を作る材料として、最も多く用いられるのは『東郷ハガネ二号三分丸』一尺余」と記されている。

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