菅原宗治(すがわらそうじ:1914~)
系統:肘折系
師匠:佐藤丑蔵
弟子:
〔人物〕 大正3年、秋田県仙北郡雲澤村中泊に生まれる。実家は農業。幼くして足を患い、農業に従事時することが難しかったため、昭和7年19歳から足掛け5年間岩手県湯本温泉の小林辻右衛門の工場で佐藤丑蔵について木地を修業した。ここでこけしの製作についても学んだ。19歳という晩挽き(年齢が遅くなって修業に入ること)であったが一通りの技術は学んだ。昭和12年に雲澤村に戻り、曲木木工などを挽いていたが、余暇にはこけしも作った。作ったこけしを作業場の棚に並べておくと近所の子供や通行人が好んで求めていったという。夏期は東北振興の人夫として出稼ぎにでて、冬期には木地を挽くという生活だったようだ。既に没して居ると思われるが、没年は不明である。なお、名前を宗次、荘治とする文献もあるが宗治だ正しいようである。
〔作品〕 橘文策が、菅原宗治という弟子の存在を佐藤丑蔵より聞いたがなかなか連絡が取れず、秋田にいた同好の佐藤與始人に調査を依頼した。與始人は雲澤に宗治を訪ね、その報告を〈木形子・第5号〉の「カックラ探究」という稿にまとめている。與始人はこのとき尺三寸を入手したが、それは湯本で修業中に作ったものを持ち帰ったものだという。首は嵌め込みで、胴は重ね菊に菖蒲の裏模様が描かれていたという。写真は掲載されていない。橘文策はこの報告に基づいて〈こけしと作者〉の雲澤の項を書いている。
写真による紹介は〈こけし辞典〉の深沢要蒐集品が最初であろう。深沢の二本は首は差し込みである。面描は、小林善作と共通し、一見して湯本の作者であることが分かる。湯本での修業時代は善作の修業時代とも重なっている。
〔26.4cm、15.8cm(昭和13年)(深沢コレクション)〕
〔伝統〕 肘折系文六系列