阿部熊治郎(あべくまじろう:1850~1919)
系統:土湯系
師匠:阿部吉弥
弟子:阿部治助/阿部新次郎
嘉永4年8月23日、土湯下の松屋阿部吉弥・ヤヨの長男に生まる。木地は父吉弥に習った。木地物を作りながら、冬期間は炭焼を兼業していた。こけしも作った。妻女は陳野原駒吉長女コヨ。
明治18年に土湯にきた膽澤為次郎は加藤屋の二階作業場で、由吉、弁之助など数名に一人挽きを教えた。〈土湯木でこ考〉では熊治郎も為次郎の弟子になったとある。一方、由吉、太治郎の話によると、熊治郎は為次郎に一人挽きを習ったのではなく、為次郎と同じころに来た箱根木地師寅次郎(通称「でぶ寅」)を家において、一人挽きを習い、弟の常松などにも習わせたといわれる。熊治郎の弟子には長男治助、次男新次郎、弟の末松などが知られている。熊治郎のこけしは未確認であるが、治助のこけしと酷似していたといわれている。
大正8年7月16日没、行年70歳。