阿部善治郎

阿部善治郎(あべぜんじろう:1847~1919)

系統:土湯系

師匠:不明

弟子:阿部金蔵

弘化4年6月14日、土湯村の旅館業阿部傳兵衛、ミンの長男に生まる。傳兵衛家は文禄年間越後から土湯に渡ってきた村上氏の浪人阿部徳右衛門薩摩の祐筆阿部傳兵衛の直系で、代々傳兵衛を名乗っていたという。屋号は松屋であるが、阿部吉弥家の松屋と区別して松屋本家という。旅篭を本業、木地を副業としていたが、明治23年の水害で被災し、木地業と炭焼業に縮小した。
手先が器用で、特に針仕事がうまく、明治22年妻カネを失ってからは縫物を請負ったり、人に教えたりして家計の一助にしたこともあったという〈土湯木でこ考〉。
妻女カネとの間に、金蔵、安吉、政治郎、作治、兵助、忠治郎の六男をもうけた。長男金蔵には幼時より木地を教え、また金蔵は明治18年4月16歳の時に土湯に来た膽澤為次郎より一人挽きの技術を習得している。
大正初年ごろまで、松屋の店先には善治郎のこけしがいつもザルの中に一杯入れられて、高燭や煙草入れとともに売られていたという。善治郎の木地師匠は不明。作品も未確認である。長男金蔵のこけしは善治郎よりの伝承という。大正8年9月13日土湯で没した。行年73歳。

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