阿部仙太郎

阿部仙太郎(あべせんたろう:1855~1944)

系統:土湯系

師匠:阿部国松

弟子:

〔人物〕安政2年12月6日、土湯の扇屋阿部與五平、カツの長男に生まれる。扇屋は代々與五平であり、母カツは與五平の二女、夫は今泉家から養子に入って與五平を継いだ。
仙太郎は明治17年ごろより同25年ごろまで阿部国松について木地を修業したとされる。ただ父與五平も木地を挽いていたから、まず父與五平から技術を学び、30歳近くなった明治17年ころから腕の立った阿部国松について手直しを受けたのかも知れない。阿部国松は、土湯の名主を務めた阿部四郎兵衛の長男であり、代々の四郎兵衛は弘化2年、明治5年の君ヶ畑氏子狩帳、嘉永2年、安政4年の蛭谷の氏子狩帳に応じた木地師でもあった。
仙太郎は家業の扇屋旅館を継いで経営し、旅館のほうは二男清七がついだが、その子武の代にいたり昭和29年の大火もあって旅廃業した。仙太郎四男の六郎の長男一雄が土湯物産館を経営し、各種こけしを販売していた。
仙太郎は昭和16~7年に、昔を思い出して阿部治助木地にこけしの顔を描いた。
昭和19年5月30日没、行年91歳。


阿部仙太郎 撮影:水谷泰永  

〔作品〕昭和16年以降に治助の木地に描彩したものが数本残っている。石井眞之助の知人を介しての依頼により昔を思い出して治助の木地に描いたと言われているが、若い頃に実際どの程度作ったのかは定かでない。残された仙太郎描彩のこけしを見ても、手は定まっていないので、仮に若い頃ある程度作っていたとしても、その面影をしのぶことは難しい。石井旧蔵には前髪を描き、鹿間旧蔵には前髪が無い。
現存の仙太郎描彩こけしは数本であろう。


〔26.0cm(昭和16年3月)(石井眞之助旧蔵)〕


〔23.3cm(昭和17年)(鹿間時夫旧蔵)〕

〔伝統〕土湯系

 

[`evernote` not found]