井川武松

井川武松(いがわたけまつ:1925~2008)

系統:木地山系

師匠:鈴木国蔵

弟子:

〔人物〕 大正14年12月11日秋田県雄勝郡西馬音内の農業井川末松の四男に生まれる。昭和20年戦地より復員後、湯沢市下新地の木地師鈴木国蔵について木地を約5年間修業した。各種挽き物を習って作ったが、当時国蔵は視力が落ちていてそれほど多くこけしを作っていなかったので、型については習ったが、描彩はほとんど習っていないと思われる。その後、西馬音内に戻って木地業を続けたが、ほとんどが大物(横物)ばかりを挽き、こけしはたまに依頼され作る程度であった。昭和35年湯沢市愛宕町に転居、ここでは鈴木幸太郎の「お杉ボッコ」などの木地下を盛んに挽いた。昭和46年三戸の愛好家が、鈴木国蔵のこけし絵を送って製作の依頼があり、それ以後国蔵の型を思い出しながら作り始めた。こけしは湯沢駅前の商店フミオに出した。その後、各地からの注文にも応じて国蔵型のこけしを作り続けた。
平成20年2月1日没、行年84歳。

〔作品〕 昭和40年代後半には所謂鈴木国蔵名義の松江健太郎の型を作った。


〔 9.4cm(昭和48年)(橋本正明)〕 松江健太郎型

その後鈴木国蔵の戦前の型を作るようになるが、国蔵自体は視力が落ちて戦後はほとんど描かず、昭和32年に亡くなっているので、昭和50年ころからの製作は専ら国蔵こけしの型の絵、写真などによると思われる。フミオ商店主が弥治郎のこけしを見せたとも言っているので、ロクロ線などにはその影響があるだろう。国蔵の長男の幸太郎のこけしの影響もある。

〔30.3cm(平成10年)(高井佐寿)〕
〔30.3cm(平成10年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕 形態、産地湯沢から木地山系に分類されているが、謙太郎や国蔵自体が及位で働いていたこともあり、いくつかの系統の要素が混交している。独立系に近い。

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