岩松直助

岩松直助(いわまつなおすけ:1828~1874)

系統:作並系

師匠:南條徳右衛門

弟子:小林倉治/小松藤右衛門/岩松直治

〔人物〕  岩松直助は作並系のこけしの創成に関わった工人。前名麻生政治。
文化11年(1828)、現在の湯沢市三梨町宮田の麻生久右衛門家に生まれた。麻生家は徳治元年(1306)頃、常陸国(茨城県)麻生の里から秋田宝福山の麓の地に移ったといわれていて、この人たちが麻生を名乗り、宮田・京政集落には麻生姓が現在も46軒ほどある。
麻生一族は、宝福山桂薗寺(曹洞宗)を建立しており、麻生政治はその三梨村宮田・京政大檀那麻生の子孫に当たるのではないかという(藤原勝郎〈こけし手帖・663〉)
天保の飢饉の影響は秋田領で厳しく、その難を遁れて政治は三梨村を離れ、宮城県宮城郡作並の湯主岩松喜惣治の地内に落ち着いたと言われている。また一説では天保末年に作並に落ち着いたとも言われる〈宮城風土記〉。当時作並では小田原から来た木地師南條徳右衛門が岩松の地内で木地を挽き、温泉土産などを作っていたので、麻生政治はこの徳右衛門について木地の技術を習得した。岩松の地内で仕事をしたので、岩松直助と改名したのであろう。
師匠の南條徳右衛門の墓は作並にあり、墓石銘に慶応元年(1865)乙丑65歳とあるから、亡くなるまで作並に落ち着き、この地で亡くなったことがわかる。山形の小林倉治も、作並に来て南條徳右衛門に師事した。倉治が作並に来た頃(万延元年頃)、徳右衛門は既に60歳くらいであったから実際の木地の指導を行ったのは岩松直助であろう。
岩松直助の弟子は、この小林倉治の前に、愛子から来た小松藤右衛門が居り、藤右衛門が筆写した木地の寸法帳と、岩松直助が書き与えた木地の相伝書が、岩松直助文書〈萬挽物扣帳〉(万延元年一月)として現存している。
この萬挽物扣帳は小松藤右衛門からその弟子庄司惣五郎、さらに惣五郎の弟子今野新四郎に伝えられ、新四郎の六男多利之助が保存していた。後に仙台の研究家高橋五郎がこれを譲り受けた。

万延元年(1860)の「萬挽物扣帳」 (高橋五郎)

万延元年(1860)の「萬挽物扣帳」 (高橋五郎)

岩松直助はその苗字を「岩枩」と表記する場合が多い。萬挽物扣帳でも、また下掲の墓石銘も「岩枩」としている。ただし、戸籍表記は岩枩ではなく岩松である。直助の墓は作並の杉木立の中にあり、同じ墓地の中に師匠の南條徳右衛門の墓もある。
墓石には三梨村の生まれで、元の名が麻生政治であったことも記されている。

岩松直助の墓

岩松直助の墓

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  岩松直助の墓石銘

岩松直助には妻女たつとの間に息子が二人と娘がいたことは確かである。岩松の菩提寺は作並北子原の曹洞宗興源寺であり、その過去帳には、直助の他に下記3人の法名を確認できる。直助の息子直治とその弟は共に木地屋と書かれているから、木地を直助から習っていたことは確実である。 

興源寺過去帳より

興源寺過去帳より

直治の弟は西南戦争に従軍して戦死したと伝えられる。
岩松直助が明治7年に没し、直治の弟が10年に戦死、直治も11年に亡くなったので岩松一家の木地業は絶えてしまった。直助一家の仕事場といわれる場所は岩松旅館の道路を隔てた向かい側で二つ橋と呼ばれたところであるが、その場所には後年まで木賊が生えていて、これは直助が植えたものと伝えられていた。
直助の妻女たつは明治12年に亡くなり、直治の妻けさも明治20年になくなった。残された直助長女つるは明治26年に山形の小林倉治に引き取られて養女となった。直治の家督は養子幾三郎が継いだがその消息は不明である。
作並の平賀謙蔵は、岩松旅館主亥之助のすすめによって山形小林倉吉の弟子となった。この縁もあって、明治41年つるは平賀謙蔵の父平賀太五郎の後妻となった。

〔作品〕  作品は未確認であるが、その形態・様式は今野新四郎作と言われるこけしにかなり近いものであったと考えられる。

系統〕 作並系
 山形の小林一家の源流は小林倉治の師匠岩松直助まで遡ることができ、また仙台の高橋胞吉は庄司惣五郎との関係から、おそらく岩松直助の系譜につながるので、山形から仙台にまたがる作並系のこけしの源流は岩松直助と考えられる。

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明治10年代まで上図のように作並を中心に、山形、仙台にまたがる作並系こけしの分布圏が存在していた。明治20年以降、一人挽きの伝承と他系との技術的交流があって、山形は系統としての独自性を強めることになる。
平賀謙蔵は、こうした山形のこけしを作並に再輸入した。ただし、胴のいわゆる蟹花模様は、古来の作並の桜崩しを岩松亥之助に勧められて再現した様式といわれる。

〔参考〕

  • 作並こけし発祥の調査
  • 橋本正明:「岩松直助と作並木地業」〈こけし山河・17〉大阪こけし教室(昭和47年9月)
  • 藤原勝郎:木地師・岩松直助(麻生政治)について〈こけし手帖・663〉(平成28年4月)

 

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