木村祐助

木村祐助(きむらゆうすけ:1924~2019)

系統:蔵王高湯系

師匠:木村吉太郎

弟子:木村吉一

〔人物]大正13年2月26日、木村吉太郎、むらえの長男として山形県南村山郡上ノ山町十日町940番地に生まる。こけしに署名するときは「祐助」を用いるが、戸籍上は「勇助」である。昭和20年8月より父吉太郎について木地を修業。その後、中の湯共同浴場の湯番・蔵王坊平茶店経営等で製作数は多くはなかった。昭和37年より上ノ山タクシーの経営を、昭和38年から昭和59年まで市議を努めていたためほとんど木地から離れていたが、昭和42年ころより長男の吉一(昭和27年7月3日生)が木地を挽き始めた関係で寡作ながら再び描彩を始めた。市議を止めてからのこけし製作量は増えたが、平成20年代に入ると老齢のため再び作品数は減少した。平成22年10月25日に長年住み慣れた十日町から市内北町本丁1-8に転居した。
平成31年3月28日老衰により没した。行年96歳(数え年)。

木村祐助 平成26年1月12日

木村祐助 平成26年1月12日

〔作品〕祐助は吉太郎晩年の作品をオリジナルとしてこけしの製作を始めた。面描ちまちまとし、瞳が機械的に丸い。胴の牡丹の茎は太く短く描かれる。下掲のように祐助初期の作は木村吉太郎の晩年作からの影響を強く感じさせるものだった。

木村祐助 〔18cm(昭和35年)(庄子)〕
〔18cm(昭和35年)(庄子勝徳)〕

木村吉太郎の没後、戦前の吉太郎作を見る機会が出来、吉太郎古作の様式を追求するこけしを作るようになった。


〔 20.0cm(昭和55年4月)(ひやね)〕


〔右より 16.2cm、16.0cm(平成3年正月)(大原裕子)〕

下掲は祐助晩年の作、特に右端は平成20年代に入ってからの作で筆の伸びはなくなったが童心に戻ったようなこけしであった。

木村祐助 〔12cm(平成17年)(庄子)・19.6cm(平成23年)(庄子)〕
〔右より 19.6cm(平成23年)、12cm(平成17年)(庄子勝徳)〕

〔伝統〕蔵王高湯系能登屋。

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