佐藤忠

佐藤忠(さとうただし:1932~)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤菊治

弟子:小松里佳

〔人物〕 昭和7年4月14日、柴田郡川崎町青根温泉佐藤菊治・キツの六男として生まれる。昭和21年刈田郡遠刈田中学校卒業後に菊治につき木地修業、主に新型こけしを挽いた。なお、旧型は昭和30年頃より挽き始めている。父の菊治は昭和40年より東京鷺ノ宮のこけし店「たつみ」の注文により、シリーズとして本人の古作復元に取り組んだ。昭和45年に父の菊治は亡くなったが、その後、忠も「たつみ」の注文により菊治の古型に取り組むようになった。昭和48年自宅兼作業場を新築し実家より独立した。昭和49年頃からは「たつみ」の注文で、菊治の兄弟子だった鈴木幸之助の型も作るようになった。
平成28年、こけし工人育成事業で応募した小松里佳を弟子として育成した。
令和2年、高齢のため木地を廃業することにして、道具類を弟子の小松里佳に譲った。小松里佳は遠刈田の旧北岡工場にその道具類を据えて、こけし製作を行っている。

佐藤忠 平成26年
佐藤忠 平成26年3月1日


佐藤忠 平成31年 撮影:佐藤 健兒朗

〔作品〕 伝統こけしを作り始めた頃は当時主流であった遠刈田一般型であったが、その後は従姉ひろせの子である佐藤博典と同様の新型の影響が強い物を作り続けた。昭和40年頃より少しずつ菊治風の描彩にシフトしたが、本格的な菊治型を作るようになったのは菊治の死後(昭和40年代後半)である。
また、父菊治は、肘折の鈴木幸之助が弟子入りした佐藤重吉に木地を習った。幸之助は兄弟子に当たるので、菊治は幸之助型を作ったことがある。佐藤忠が鈴木幸之助の型を作るのはそうした縁による。

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〔19.8cm(昭和49年6月)(橋本正明)〕 幸之助型


〔18.4cm(昭和52年5月)(橋本正明)〕菊治古型

下掲の幸之助型は、ながく「たつみ」が在庫品として保管していたが、「たつみ」閉店にあわせて東京こけし友の会に寄贈され、平成30年11月例会で会員に配布されたもの。形態・描彩共に幸之助の作風をよく再現できた佳品であった。


[14.5cm(昭和57年)(橋本正明)] たつみ頒布

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〔右より 26.3cm(平成19年7月)、17.8cm(平成19年11月)、25.2cm(平成19年7月)(庄子勝徳)〕

80代後半になっても衰えは見せず、魅力ある菊治型、幸之助型を作る。


〔右より 24.2cm 菊治型、30.3cm 幸之助型(令和2年)(中根巌)〕

〔伝統〕 遠刈田系周治郎系列

〔参考〕

  • 中根巌:佐藤忠の最新作品〈木でこ・230〉(令和2年7月)

 

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