鈴木幸太郎

鈴木幸太郎(すずきこうたろう:1922~1989)

系統:木地山系

師匠:鈴木国蔵

弟子:中川徳二郎/中川郁夫

〔人物〕   大正11年6月20日、鈴木国蔵(父)の一人息子として、秋田県雄勝郡湯沢町(現湯沢市)御囲地(おかち)町に生まれる。 生後間もなく父と共に下新地(現平清水新町)へ映り、昭和13年高等小学校卒業後、父の仕事を手伝い木地を習った。
昭和15年より営林署に勤め、17年4月出征、青森県八戸航空隊に入隊し、20年9月復員して営林署へ再び勤務した。
スキーの名手で戦後オリンピック候補選手となった。
昭和24年、御岳スキー場の麓の湯ノ原にヒュッテ式の家を立てて、後進の指導にあたったが、昭和26年合宿中に怪我をしたため、現役生活を辞め、昭和30年に営林署を退職して木地専門となった。 それ以前も昭和24年頃までは暇を見て父を手伝い木地を挽いていたが、本格的にこけしなどを挽き始めたのはこの頃からである。
〈こけし辞典〉の取材時には大東文化大学のスキーコーチをしていたことから冬季は木地をほとんど挽かず、不在のことが多かったという。
弟子に中川徳二郎、中川郁夫がいる。また妻女鈴木さと子も描彩のみ行った。
平成元年4月26日没。享年66歳。

鈴木幸太郎 昭和38年
鈴木幸太郎 昭和38年 小野洸撮影

〔作品〕  初期のこけしは弥治郎風にロクロ線を多用し、頭部にはカマボコ状の飾りも描いている。父国蔵の作品によく似たものであるが、頬紅をつけたものは30本程度しか挽かなかったという。
〈こけし辞典〉掲載の頬紅がある鹿間時夫蔵は昭和13年作とされる。
〈こけし千夜一夜物語〉「第557夜:「市井にひそむ逸品」(鈴木幸太郎)」にて、〈愛玩鼓楽〉掲載の鈴木国蔵作と同時期と思われる幸太郎作を比較掲載している。

鈴木幸太郎_1

〔21cm(秋田 湯沢 鈴木幸太郎 署名)、18cm(昭和15年)、17.7cm(昭和14年5月28日)、21cm(国蔵名儀)(沼倉孝彦蔵)〕

沼倉孝彦蔵の右端、国蔵名義は〈こけし辞典〉掲載の鹿間蔵に良く似ている。昭和36年頃になると木地形態は完全に木地山系のものとなるが、描彩では鈴木国蔵のこけしの胴模様などを受け継いでいる。 また、鈴木国蔵に昭和20年より約5年間弟子入りをしてその後も交流のあった井川武松のこけしにも影響を与えていると考えられる。

〔伝統〕   木地山系川連一般形。

〔参考〕
渡り鳥のスポーツ日記/第26回全日本スキー選手権大会(1948年)

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