柏倉喜平治

柏倉喜平治(かしわくらきへいじ:1914~1950)

系統:蔵王高湯系

師匠:石山三四郎/石山和夫

弟子:

〔人物〕大正3年3月1日、山形県東村山郡山寺村芦沢の農家に生まれる。10人兄弟の末子であった。体格はよく、徴兵検査では甲種合格であった。太平洋戦争に応召、昭和20年11月に復員した。
復員後、将来を考えて木地の技術を身につけることを志し、昭和21年33歳で山寺の石山三四郎に弟子入りした。木地は三四郎のほか、三四郎の弟の和夫にも習った。水戸寛は弟弟子である。妻女静江との間に二女を設けた。昭和23年に独立して、木地業を始めたが、当時の食糧事情は良くなく、健康を害して入院し、昭和25年8月11日に没した。行年37歳。

〔作品〕三四郎の弟子時代には喜平治名義のこけしはほとんど作らなかったというから、喜平治のこけし製作は独立した昭和23年から昭和25年前半にかけてのごく限られた時期だったと考えられる。現存するこけしは、喜平治の知人が保存していたもの、あるいは山寺土産に購入した人の手からたまたま骨董市に出たもの等、極めて限定的である。いずれも胴背に「山寺 柏倉喜平治作」と墨書がある。
作品も三四郎風の直胴のもの、下掲写真のように胴の形態に工夫を加えたものと一定ではない。三四郎のこけしをベースに独自の工夫を凝らしていたと思われる。


〔 22.1cm(昭和24年)(山本陽子)〕

親族に後継者もおらず、三四郎をベースとした喜平治一代の製作であった。
山寺の白鳥保子が喜平治型を復元した。
 

〔伝統〕蔵王高湯系

〔参考〕

  • 矢田正生:柏倉喜平治のこけし〈木でこ・141号〉(平成5年五月)
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