小椋勇三郎

小椋勇三郎(おぐらゆうざぶろう:1933~2001)

系統:木地山系

師匠:小椋泰一郎

弟子:

〔人物〕 昭和8年6月1日、秋田県川連大館の木地業小椋泰一郎・たかの三男に生まれる。小椋嘉市は長兄、小椋捨次郎は次兄。昭和24年川連中学校を卒業、中学三年生の頃より父泰一郎について木地を学んだ。卒業後約1年ほど家業を手伝って木地を挽いた。
その後、兄嘉市がやっていた下駄作りに転業、さらに昭和33年に東京に移り、昭島市に住んで親類がやっていた建具屋に勤めた。
平成2年秋田県稲川町東福寺に戻り、地元の佛具商に勤めた。
秋田こけし会の会長だった相川栄三郎の勧めで、平成6年6月井川武松の木地に描彩のみ行った。その後、ロクロを備え付け、自挽きのこけしを作るようになった。伊勢こけし会、名古屋こけし会でたびたび頒布された。平成11年病に倒れ、闘病生活を送ったが平成13年5月18日に没した。行年69歳。
〈伊勢こけし会だより・93〉に阿部均による追悼文があり、経歴や作品が紹介されている。

〔作品〕 東京時代の昭和44年1月、昭和45年5月に阿部平四郎が東京の百貨店に実演に来た際、ロクロを借りて作ったこけしが数本残っている。

〔16.7cm、13.0cm(昭和44年1月)(〈伊勢こけし会だより・93〉より)〕 池袋西武百貨店にて製作
〔16.7cm、13.0cm(昭和44年1月)(〈伊勢こけし会だより・93〉より)〕
池袋西武百貨店にて製作

秋田の相川栄三郎らの勧めで、平成6年に井川武松の木地に描彩のみ行ったが、やがて自挽きのこけしを作るようになった。下の写真の平成10年作は自挽きの作例である。

〔右より 30.9cm、24.5cm(平成10年3月)、18.2cm(平成10年6月)(〈伊勢こけし会だより・93〉より)〕
〔右より 30.9cm、24.5cm(平成10年3月)、18.2cm(平成10年6月)
(〈伊勢こけし会だより・93〉より)〕

平成11年3月名古屋こけし会頒布品を含む一群。他に平成13年に伊藤儀一郎型を作り、それが遺作のようである。

小椋勇三郎

〔10.5cm、16.2cm(平成11年3月名古屋こけし会頒布)、24cm、15.6cm〕(沼倉孝彦蔵)

系統〕 木地山系

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