高橋徳左衛門

こけし作者高橋兵治郎の父で、秋田県川連で塗下木地を挽いていた工人。

高橋徳左衛門は代々徳左衛門で、兵治郎の父も先代徳左衛門(幼名宇一郎)の長男として、安政2年3月11日に川連村で生まれた。木地は初代である。
徳左衛門の師匠は、高橋政右衛門である。政右衛門は百姓の子であったが、非常に器用だったので、木地を挽くようになり、腕も立って弟子が多くいたという。
徳左衛門は、政右衛門について二人挽きを習い、おもに塗下を挽いていた。妻ヱクとの間に6女2男があるが、5女センのあとに長男宇一郎が、6女ヨシエのあとに次男の兵治郎が生まれたので男児二人は後年の子供である。明治40年、徳左衛門53歳の時、鳴子の塗下木地師横谷万作を招き、徳左衛門の家にロクロを据えて、一人挽き(足踏みロクロ)の指導を受けた。川連への一人挽きの伝承は小椋米吉が明治30年代に鳴子から見取りで伝えてはいるが、本格的にはこの明治40年であり比較的遅かった。
(注:小椋泰一郎の妻女たかの談によると、明治22年生まれのたかが小学校低学年の頃、足踏みが入ったというので学校帰りに見に行ったというから、米吉が伝えたのは明治30年代初めであろう)
長男宇一郎、次男兵治郎は徳左衛門に就いて木地を習った。兵治郎は徳左衛門44歳の子であり、修業当初より足踏みであった。宇一郎、兵治郎の他に、藤原松三郎、沓沢清太郎も徳左衛門について木地を習った。
徳左衛門は終生塗下を専門として働いたが、兵治郎の話によると、、近所の子供たちにこけしを作ってやったりはしていたという。ただし確認される作品は残っていない。兵治郎のこけしも、その徳左衛門のこけしを伝承したものではない。
大正13年9月16日没、行年70歳。

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