蔦衛

蔦衛(つたまもる:1928~2009)

系統:弥治郎系

師匠:蔦作蔵

弟子:蔦文男/土屋佐次兵衛

〔人物〕 昭和3年11月10日柴田郡大河原町の蔦幸作5男として生まれる。幼少の頃南置賜郡三澤村小野川温泉の蔦作蔵養子となる。昭和18年3月尋常小学校卒業後作蔵につき木地修行し、コマ・こけし等を作った。昭和19年海軍入営、昭和20年8月帰郷した。戦後は作蔵と共につたや土産物店を経営する傍らこけしを作った。作蔵には50歳すぎてから長男文男が誕生していたが、その文男に木地の技術を指導した。昭和32年作蔵没後に動力ロクロに切替えた。昭和40年から42年まで一時休業したが、昭和48年ころ木地玩具の工場を建て、こけし作りを再開した。このころ土屋佐次兵衛が工場の職人となった。
蔦衛は、つたや物産店の経営の合間に断続的にこけしを作り続けた。昭和58年頃からは土屋佐次兵衛にもこけしの描彩を指導した。平成10年頃からは病気がちとなり療養に努めたが、平成21年2月21日没した、行年82歳。

小野川 つたや物産店 昭和39年

蔦 衛
蔦 衛

〔作品〕 戦前の作品は殆ど残っていない。昭和30年代までは、頭部は黒頭・胴模様は遠刈田式の重ね菊・ぼかしボタン等作蔵の模様を引き継いだ。昭和42年以後は木地別人のものが多く、頭部は多色ロクロ線によるベレー帽、胴模様は横菊・旭菊・その他変わり模様を描いている。なお晩年には目をドングリ目から笑目に改めている。

〔30.3cm(昭和35年頃)(高井佐寿)〕
〔30.3cm(昭和42年頃)(高井佐寿)〕

〔伝統〕 弥治郎系栄治系列、後継者は義弟の文男と弟子の土屋佐次兵衛がいる。なお、長男幹夫が少数こけしを作ったことがあるが、本格的には作っていない。

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