大沼秀雄

大沼秀雄(おおぬまひでお:1930~)

系統:鳴子系

師匠:大沼みつを/岡崎斉吉

弟子:大沼秀顯

〔人物〕  昭和5年2月18日、鳴子大沼竹雄の次男に生まる。父竹雄は昭和15年1月5日に41歳で亡くなったため、直接父より指導をうけることはできなかった。昭和19年鳴子高等小学校を卒業後、終戦まで塩釜のドックで働いた。昭和21年5月より岡崎斉吉の弟子となり、5年間の年期奉公をして木地を修業した。年期があけた後も昭和33年8月まで岡崎工場の職人として働いた。同時代の職人には後藤希三・岡崎仁治・早坂隆・鈴水運吉・佐藤賀宏がいる。独立後母「みつを」の勧めで昭和33年秋よりこけしの描彩を開始、描き方は母「みつを」の指導による。昭和42年より鳴子町湯元93-1の自宅を改築してこけしの店を開き、現在にいたっている。
曾祖父岩太郎は秀雄が9歳のときに亡くなったが、秀雄には岩太郎の記憶があり、「90歳を超えてからも、岩太郎は山歩きが好きだった。曲がった腰でも歩くのは早く、ついて行くは容易でなかった。」と語っている。

大沼秀雄 昭和50年
大沼秀雄 昭和50年

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大沼秀雄 平成20年

〔作品〕重菊・車菊・石竹・楓などの紋様の種類は多い。初期の作は眼点の輪郭がはっきりしたやや甘いこけしであったが、次第に完成度を高め昭和三五年ころには勢いのある見事なこけしになった。この時期の作は〈こけし事典〉に収録されている。昭和42年4月大沼竹雄古型を東京こけし友の会旅行会で柴田長吉郎氏の勧めにより復元し、蒐集界の注目を集めた。昭和45年2月には元村勲氏蔵大沼岩太郎を〈木ぼこ〉の写真により復元し成功した。青年期の秀雄は、腰のきわめて強い筆で描彩しているため線にややゆとりには乏しいが、一分の狂いもない正確な技術を示していた。若々しい溌刺とした作品で出来にむらがない。最近は円熟味をまして、描彩も柔軟になり、たっぷりとした清潔感のあるこけしを作る。現在なお研究熱心で、気になる古作があると復元に挑戦してくれることもある。鳴子こけしの最も正統的伝承者の一人で、格調の高い作風には定評がある。

〔右より 15.7cm、16.2cm(昭和45年)(橋本正明)〕
〔右より 15.7cm、16.2cm(昭和45年)(橋本正明)〕

〔20.1cm(昭和54年)(橋本正明)〕 こけしの会「古作こけしと写し展」
〔20.1cm(昭和54年)(橋本正明)〕 こけしの会「古作こけしと写し展」

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〔左より 17.3cm(平成15年)、19.2cm(平成20年)、15.8cm(昭和44年9月)、17.5cm(平成18年)(橋本正明)〕
いずれも岩太郎型、両端は川口貫一郎蔵「山ノ目産」、左から二本目「志けよ」かともいわれる丹羽義一蔵、三本目は元村勲蔵伝岩太郎の復元

〔伝統〕鳴子系岩太郎系列

〔参考〕

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