〔人物〕昭和10年9月10日、宮城県刈田郡遠刈田に生まれた。昭和23年に白石中学校を中退し、昭和24年から佐藤丑蔵について二か月ほど修業を行った。 昭和35年からこけしも製作するようになったが、昭和38年に転業し、間もな… 続きを読む
カテゴリー別アーカイブ: 遠刈田系
佐藤広喜
〔人物〕 明治22年6月15日、宮城県柴田郡金ケ瀬村大槻源五郎、ひろのの六男として生まる。母ひろのは松之進の母いち(戸籍表記いつ)の妹で、大槻源五郎に嫁いだが、源五郎が大陸に渡り死亡したため、明治24年に広喜を連れて遠刈… 続きを読む
及川吉郎
〔人物〕大正9年3月27日、仙台の及川清吉の四男に生まる。尋常小学校を卒業後、昭和8年より仙台商工省工芸指導所に入り、佐藤孝之助から木地挽きの手ほどきを受ける。工芸品等を多く作り、こけしを挽いたのは昭和16年ころからであ… 続きを読む
佐藤寛次
〔人物〕昭和11年7月25日、宮城県刈田郡遠刈田新地のこけし工人佐藤護の次男に生まれた。昭和26年、遠刈田中学校を卒業してから、父護のもとで木地の技術を習得した。 こけしは昭和30年頃より作っており、昭和35年ころには仙… 続きを読む
阿子島孫一
明治34年、遠刈田温泉に生まれる。家業は飲食店経営であった。孫一は尋常小学校卒業後、大正4年ごろ遠刈田新地の佐藤吉郎平に弟子入りし、大正11年ごろ年期明けした。遠刈田で独立開業して、こけしも若干挽いたが確認できる作品は残… 続きを読む
佐藤今朝吉
〔人物〕 昭和5年3月1日、下駄製造業佐藤惣太郎次男として遠刈田温泉に生まる。昭和18年、尋常高等小学校卒業と共に、徴用されて東京の工場で働き、終戦とともに帰郷した。家業の下駄屋の職人をしていたが、新型こけしのブームとな… 続きを読む
佐藤巧
〔人物〕昭和25年1月19日、宮城県柴田郡柴田の商業佐藤弘の次男に生まれる。最初に斎藤一について木地を学んだが、昭和50年より仙台の長尾昌儀の弟子となって3年間修業を続けた。 昭和53年に宮城郡松島町で独立開業し、こけし… 続きを読む
佐藤学
今野幹夫
〔人物〕 昭和6年5月28日、北海道網走郡北見市美幌町の農業今野房吉・マツヨの長男に生まれる。小学校3年生のとき一家は南洋パラオ本島に移住し、そこで農業を始めた。終戦後、昭和21年3月パラオ本島大和高等小学校を卒業した。… 続きを読む
海谷善蔵
〔人物〕明治19年7月1日、山形県東村山郡高瀬村大字下東山、海谷七右衛門、き江の二男に生まる。長兄周蔵、弟七三郎とともに青根の佐藤久吉について修業した。明治36年18歳のとき、志願して山形の歩兵第三二連隊に入隊、その後予… 続きを読む