カテゴリー別アーカイブ: 歴史

岩松直助文書

岩松直助は、秋田県雄勝郡三梨村出身で、天保の飢饉のころ宮城県宮城郡作並に移り、作並で木地に携わっていた南條徳右衛門より木地技術を修得した木地職人。天保年代より明治初年まで作並で木地を挽きこけしも製作した。 岩松直助文書は… 続きを読む

島津勝治

大正年間に青森県浅虫温泉で木工所を経営していた人物。島津勝治自身の経歴や消息ははっきりしない。 島津勝治の工場では、鳴子から来た大沼熊治郎(大正5年ころ)、大沼甚五郎(大正2年)、伊藤松三郎(大正2年)、花巻から来た佐藤… 続きを読む

水引手

御所人形で前髪を水引で結んだ頭部模様を描いたものを「水引手(みずひきて)」と呼んでいる。この様式をこけしの前髪として描いたものに対しても、「水引手の描法」「水引を加えた前髪」などと表現する。 水引(みずひき)は元来、祝儀… 続きを読む

手絡

手絡(てがら)は日本髪を結う際に、髷に巻きつけるなどして飾る布のことを言う。あるいは髷かけとも言う。髪型のお煙草盆(髷の間にかける)、桃割れ(髷の中に入れ込み下部を割って見せる)、唐人髷(髷の中に入れ込み上下を割ってみせ… 続きを読む

木村弦三

きむらげんぞう 戸籍名は木村哲也。木村源蔵あるいは弦三の筆名を用い、こけし界では木村弦三として広く知られる。 津軽系こけしの復興に貢献した青森県弘前市のこけし研究家・蒐集家。 温湯、大鰐を中心に津軽地方の木地師たちにこけ… 続きを読む

たつみ

東京でこけしを扱った店。店主は森亮介(本名 二良)。 戦前昭和16年に開業した第一次たつみ(麻布霞町1番地 昭和16年~昭和18年5月)、戦後の第二次たつみ(板橋区仲宿27 昭和35年の約8ヶ月)、第三次たつみ(中野区鷺… 続きを読む

沢口悟一

大正から昭和にかけて活躍した鳴子出身の漆工芸研究家。 明治15年3月19日、宮城県玉造郡鳴子に生まれる。父は鳴子漆器改良組合長であった沢口吾左衛門。東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業。東京工業試験所に所員として務めた… 続きを読む

沢ロ吾左衛門文書

明治21年4月、鳴子漆器改良組合長沢口吾左衛門は、宮城県知事に鳴子の各種職工、生産額および販路に関する報告書を提出した。その控えとして手元に残していたものが西田峯吉によって〈鳴子・こけし・工人〉に掲載紹介された。その控え… 続きを読む

ハズミ車応用足踏みロクロ

こけし工人が使用していた轆轤(ロクロ)の一形態。 ロクロの発展は、二人挽きロクロ(手引きロクロ)から、箱根あるいは東京で開発された一人挽き(足踏みロクロ)へ進み、東北各地の木地師へは、東京本所で共に働いていた田代寅之助、… 続きを読む

二人挽き轆轤

ににんびきろくろ。轆轤(木工ロクロ、木工旋盤)の一種。手引きロクロともいう。 二人挽きロクロの形態・機構 橘文策〈木地屋のふるさと〉(未来社・昭和38年)「轆轤の変遷」の章に詳しく、ロクロの図を掲げた小文献の一つ〈和漢三… 続きを読む